ワゴン、壊れちゃった。
 視線の先には、ガタンと大きな悲鳴をあげてあっけなく足を失ってしまった哀れなワゴンがあった。乗っていた花のいくつかは散って、慰めるようにタイヤの上に花びらが舞う。
「壊れちゃった」
 ぽつんと、また呟く。
 それはいつのまにか地面に降り立っていた綺麗な翼のあの子に話しかけるもので。
「ザックス、早く帰ってこないかな。君も、そう思うよね?」
 まるで頷くように、彼(で合ってるのかな?)は翼をはためかせた。


  ■■■


 震える手を叱咤して、文章の最後に自分の名を記す。
 89通目の手紙。
 あのワゴンは、もう四年も壊れたまま。直すあてはない。直して欲しい人がいない。
 書いた手紙を読み直そうとして、思いなおす。手早く折りたたんで、袋にしまう。そうしてから、宛先を書けない手紙を見つめた。真っ白な便箋を、けれども喜んでる自分がいる。出すあてはなくても、出す人はいたから。待ってる人がいたから。
 最後の手紙。
 これが届いてしまったら、これを預けてしまったら。
 どうしたらいいんだろう。
 そう思うと、ツォンに預けるために立ち上がって彼に会いに行くのが怖くなる。ただ教会の花畑の前で座り込んでいると、背中を優しいものがなぜた。翼のあの子。
「きみ…」
 この四年で、彼はなんだかひどく消耗してしまったみたい。でも、その天使のような白い翼も、静かに見守っていてくれるのも変わらない。
「これ、89通目」
 言って、その理知的な瞳に見せる。
「ザックス、読んでくれるかな? 届く、かな?」
 もし届くのなら。
 届くのなら、どうか。
「ねぇ、君はどうおも…きゃっ」
 突然、彼が手紙を咥えて、飛び上がった。ボロボロの翼で。
「どこいくの?」
 頼りなさげに翼を動かして、よろめきながら。それでも空を目指す。この四年で輝くようだった白銀の身体はすっかり色あせた。振り返ればいつもそこにいてくれていたけれど、時折辛そうに歩いてた。
 もう飛ぶのも辛くてずっと地面にいたのに、彼は今、一心に空を目指す。あの、怖いくらいの青に。
 空に白い姿が溶けてしまったあと、忘れたように羽が舞い降りてきた。安心させるように。
「届けて、くれるの?」
 呟けば、頬を滑り落ちるものがある。
 もうずっと泣いてなかった。
 もし、届くのなら。
 届くのならどうか、帰ってきて欲しい。それを読んで、「最後って何」とか言いながら、またここへ来て欲しい。あの空はまだ怖いままだから。
 私も頑張るから。プレートの上は怖いけど、帰ってきたときに自慢できるように、一人でも花を売りに行こう。
 でもワゴンは、教会の隅で眠ったままにしておこう。
 それぐらい、いいよね?


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 空が泣いたあの日、誰かが呼んだ気がした。





「89通目の手紙」