その日が近付くにつれて誰かしら浮わつくのは割と見慣れた光景だった。
 ウィーグラフは嘆息した。やはり神殿騎士団といえど、どうにもお祭り好きらしい。隣を歩いているイズルードも例外ではないようだった。声に出さずともそわそわしているのが分かる。嬉しいというよりは、落ち着かなさが勝っているようだ。
 長い廊下を過ぎ、二人連れだって食堂にたどり着けば、日課のような喧騒が聞こえてきた。メリアドールとクレティアンである。
「なぜ怒るんだ。本当のことを言ったまでじゃないか」
「今日こそ叩き潰してやる!」
「やれやれ、そんなだから猪のままなのだ」
 わざとらしく肩をすくめると、向けられる殺気もどこ吹く風である。
「君の作るチョコなぞとても口にできたものでないのは明白ではないか」
「見てもいないくせによく言えるわね!」
「残念ながら世の中には結果を見ずとも知れてしまうものはあるんだよ。君には分からないかもしれないが」
「ホワイトデーに何も返さない男がほざくんじゃないわよ」
「失礼な。私はホワイトデーに返しこそしないが、渡されたその場できちんとお礼をしているとも」
「黙れこの万年発情男」
「まぁ猪女と違ってそこら辺は融通がきくんだ」
 二人の口論は終わりそうにない。
 それを見ていたウィーグラフが呆れたように呟いた。
「クレティアンはホワイトデーに返さないのか」
 男の風上にもおけん、とでも言い出しそうな雰囲気に女騎士が口をはさむ。たしかクレティアン親衛隊の一人だ。
「あら、クレティアン様の場合は仕方ないのよ。毎年毎年、それは沢山のプレゼントをお受け取りになるんですもの」
 隣の白魔術師も頷く。
「その全てにお返しを期待するなんて、私達親衛隊がすると思いまして?」
「色々規則があるのよ」
 そう前置きして女騎士は淀みなく話し始める。まずクレティアンに渡すものはチョコであるなら味は一定水準以上かつ、一口大のものが基本。曰く、食べ過ぎはお肌の毒だから。ちなみにお菓子か物かに関わらず、全てを親衛隊の検査に通さなければいけない。媚薬の類の検査はもちろん、物であるならクレティアンにふさわしいかどうかが重要になってくる。かなりの難関らしい。また、迷惑がかかるからホワイトデーでのお返しは期待しないこと。クレティアンは必ず最低でもハグはしてくれるので、過剰な期待はしないこと。等々。
「……なんだそれは」
「親衛隊規則よ」
「この時期は私達もだけど幹部もかなり大変なのよねぇ」
「その代わり幹部にはバレンタインデーのお返しに『ウキ☆憧れのあの人と一日フルコースデート(ハート)』があるのよね。いいなぁ」
「渡せるプレゼントの幅も広がるし。あー早く昇級したいわぁ〜」
 これは別世界だ。そう思うことにした。
 そっと視線を横に流せば、まだあの二人は言い争いを続けていた。周りも飽いたと見え、各々休憩時間を思い思いに過ごしている。
 平和だ。
 ふっと息を吐いて、ウィーグラフはこの喧騒が決して嫌ではない自分をしっている。けれど少しの寂寥を感じてもいた。
「ウィーグラフ?」
 そんな同僚に気づいたのだろう、イズルードが声をかけてきた。
「いや、なんでもない」
「………」
 未だ気になると見え、イズルードは心配そうにこちらを見ている。その純朴さに口端が自然持ち上がる。それは彼の愛すべき美点だった。
「昔、妹はよく私に贈り物をしてくれた」
 彼になら話してもいいだろう。そう思えた。
「幼い時分は泥を丸めたものをチョコレートだと言って渡してきて、随分苦労させられた」
 あの頃はチョコなんて贅沢品だった。平民にとっては今でもそうだろう。たとえ幼くなくとも、きっとそれが精一杯だった。
「最後のバレンタインはちょうど出兵の日だった。妹はまだその時成人したばかりだったから私だけが戦いに出たんだが、そのとき妹は手作りのお守りを渡して、必ず帰ってくるようにと抱き締めてくれたよ」
 けれど、と呟いて苦いものがこみあげる。
「戦争から帰ってきたら食べるものにも困るようになって、バレンタインの贈り物は自然と立ち消えになった」
 そんなことを気にする余裕はなかった。そんな自分の変化を察して、妹は幼い頃から繰り返してきた習慣を封印したのだろう。それが悔やまれてならない。
「他にも沢山貰ったんだが、不思議とあの泥のチョコばかりを思い出すんだよ」
「そっか…」
 そう呟くとイズルードは下を向いた。何も言えない彼を見て申し訳ない気持ちになった。やはりこんな話はするべきではなかったんだろう。クレティアンとメリアドールの不毛な言い争いが初めて救いのように感じる昼時だった。



   ■■■■



 イズルードはとぼとぼと細長い廊下を歩いていた。
 先ほどから溜め息ばかりもれる。
「どうかしましたか」
「うわぁ!」
 突然横から声をかけられた。にゅっと顔を出したのはローファルだった。
「ろ、ローファルさんこそ」
「私ですか? 自室が本で埋まってしまったのでクレティアンのベッドを借りていたのですが追い出されたところです。これから大部屋に向かおうかと」
「はぁ」
「イズルード君は溜め息などついてどうしたのですか」
「いや…」
 ちょっと、と言いかけて考え直した。彼に聞くのもありかもしれない。
「あの…ローファルさん」
 はい、と応えが返る。
「バレンタインデーって女性が男性に気持ちを伝える日ですよね?」
「そうですね、最近では。しかし元来バレンタインデーとは男性が女性に愛を綴った手紙や花束を送っていたそうですよ」
「えっ」
「いつの間にか女性が渡すようになっていたようです。最近ではお菓子が流行りらしいですが、砂糖は貴重品ですからね、今でも刺繍入りのハンカチなどが主ですかね。クレティアンなぞは貴重なお菓子やら時計やらを毎年もらっているようですが」
「その…告白する日ですよね?」
「一概には言えなくなってきましたねぇ。義理チョコ、友チョコなんてのもありますから」
「ともちょこ?」
「異性に気軽に渡すようになったわけです。もちろん同姓にも」
「えっと、ローファルさんも?」
「そうですね、去年クレティアンに渡したら全身で脱力するくらい酷く喜んでいました」
 それはもしかしなくとも喜んでいるわけではないのでは。確信犯なのではなかろうか。今年は何にしようかとウキウキしている父の参謀を見てそう思った。
 だが今はそんなことよりも礼を言う方が先決だ。
「ローファルさん、ありがとうございました!」
 直角に体を折り、イズルードは駆け出した。
「はいはい、ご武運を」
 ローファルはにこやかに手を振った。



   ■■■■



「ウィーグラフ!」
 中庭で鍛練を行っていると大声で名を呼ばれた。確かめるまでもなくイズルードだった。周りには誰もいない。
「これ、受け取って!」
 満面の笑みで差し出されたのは可愛い包みだった。えっと、イズルード君?
「最近では友達同士でも贈ったりするんだって。だから」
 その表情に曇りはない。あくまで真剣に無邪気に、彼は言っている。ふと妹を思い出した。小さな痛みと、それを包むあたたかさが胸に去来する。ウィーグラフは微笑った。
「ありがとう。あけてもいいだろうか」
「うん!」
 ガサガサと音を立てる包み紙にイズルードは喜びを隠せないようだ。無邪気に泥チョコを差し出してきた幼い妹が思い起こされた。
「では、ありがたく」
 思えばチョコを見たことなど数えるしかない。食べたことは一度もない。少しごつごつとして歪なのはナッツ類と混ざってるせいだろう。艶のあるそれを一つつまみ、口に放り込んだ。
「……、…っ、――――!?」
「ウィーグラフ?」
 凄まじい味だった。イズルードが隣にいたからぐっと堪えたものの、そうでなければ吐き出していた。味がとにかく強烈すぎて、甘いのか辛いのかすら分からない。
「ど、どうしたんだ」
 うろたえるイズルードに首を振ってみせて、かろうじて笑みらしきものを作る。
「甘すぎたかな? 王室御用達の店で買ったんだけど。試食してみて、一番甘さ控え目なの選んだんだけど」
 心配そうな声にまた絶句する。それはつまり…自分の味覚がおかしいということだろうか。
「…いや、とてもおいしいよ」
 イズルードのためにも、己の精神衛生のためにも、不味いなどとは言えなかった。
「よかった」
 あと八粒ある。イズルードはかなり金を出したに違いない。なにせ王室御用達だ。無下にするわけにはいかない。食べるんだ、ウィーグラフ。妹の泥チョコだってきちんと食べたじゃないか。あれに比べれば、これはきちんとした食物だ。食べろ、食べるんだ、ウィーグラフ!
 ウィーグラフは黙々とチョコを咀嚼し続け、イズルードはそれをニコニコ見つめていた。





「…あいつ、食べたわ」
 ぽつりと、メリアドールが呟いた。
「私は今日初めてあの男を凄いと思ったよ」
 どこか哀れむように言うのはクレティアンだった。二人は建物の陰に隠れてウィーグラフとイズルードの様子をうかがっている。
「なによそれ。それよりほらみなさい、ちゃんと美味しいもの作ったわよ!」
「最初に口に入れた瞬間に今にも吐き出しそうだったぞ。今だってひたすら無表情のまま、まるでさっさと飲み込まんばかりに口を動かしているが。第一、君はさっき食べたことに対して驚いていたじゃないか」
「うるっさいわね、とにかく食べてるじゃない!」
「あれは弟君のためだろう。やることがあくどいぞ、メリアドール」
「イズルードが勝手に渡す包みを間違えただけよ、何言ってんの」
「ちゃっかり弟が買ってきたチョコは食べているようだが。口端についているぞ」
「うるっさいわね!」
「おや、相変わらず仲がよろしいようで」
「ローファル!?」
「ローファル殿、こんなのと仲がいいなんて死んでも言わないで頂戴」
 すかさず同意しつつ毒を吐くかと思われたクレティアンはけれども硬直しているようだった。そして恐る恐るといった体で口を開く。
「……そ・その、ローファル、その手に持ってるものはなんだ?」
「無論、チョコです。どうぞ」
「あら、私にくださるの。ありがとう」
「クレティアンも」
「いらん! 男からなぞ貰えるか!!」
「最近では男もチョコをやりとりするんですよ、知らないんですか」
「それは外側の話だ――――!!」
「はて」
「イズルードに教えたのもお前だな!? 内側の世界しか知らない連中に垣根を越えた知識を入れるな! 見ろ、あの二人にホ●容疑がかけられてるじゃないか! ああなるのは御免だ!!」
 指差す先ではウィーグラフとイズルードが女達に囲まれてあれやこれやと言われている。
「逃げるなんて男らしくないわよ、クレティアン」
「そうです。ヴォルマルフ様はきちんとお受け取りくださいました」
「ヴォルマルフ様にまで渡したのか!?」
「ええ、その場で食べてくださいましたよ。さ、どうぞ」
 にじり寄りつつ、ローファルは可愛らしく小首をかしげた。
「それと先日、あなたはその場でお返しをくれるのだと小耳に挟みました。それがクレティアン流だと。僭越ながら、どうぞ」
「ええい、両腕を広げるな! メリアドール離せ! 私はそんなのは御免だあぁぁ!!!」





「花をカードをハグをキスを贈りましょう」