捕まえられそうだ。
 誰にも聞き咎められないだろうと思っていた呟きは、あっさりムスタディオに拾われてしまった。「どうしたんだ?」寝転がったラムザの顔を覗きこんで、彼は問うてきた。
 視線は空に投げたまま、それに答える。
「星。捕まえられるんじゃないかってくらい、近いなって」
「そうだなぁ」
 ムスタディオもごろんと横になって、同じものを見つめる。そして何かを思い出したのか、不意に小さく吹き出した。「俺さ」いぶかしむラムザに笑いかける。
「昔どうしても星を手に入れたくて、屋根の上で虫網振り回したことあってさ。でもどうしても届かなくて。長い虫網つくってみたりしてな。だけどやっぱり無理で。だったら空に続く階段つくってやれーって思ったわけ」
 ムスタディオは笑っている。ラムザも、彼が笑っているのでなぜか顔が綻んでくる。
「親父に言うと怒られるから、ちょっとずつ裏庭に廃材組み合わせてさ。でもやっぱりバレてたんだよな。夜中に作業してたら崩しちゃってさ、大きい音がして親父がすっ飛んできたんだ。俺が無事なのを確かめて、てっきり怒られると思ってたのに、ちゃんと土台を作っておかないからだって言ったんだ」
 ムスタディオは父親の口調を真似るように、声を太くさせた。表情は相変わらず柔らかい。彼にとっての優しい思い出なのだろう。
「俺、呆気にとられてさ。次に恥ずかしくなって、腹が立った」
 幼い挑戦と秘密を知られたことに対するそれだろう。小さい頃は親から隠れて子どもという領分の秘密を持ちたがるものだ。ラムザにも少し覚えがあった。
 でもさ。ムスタディオは話を続ける。
「黙りこくった俺に、親父、言ったんだ。空に届くにはもっといい方法があるって」
 きっとかつてのムスタディオ少年はすぐさま目を輝かせたのだろう。何故だかすんなり想像できた。それはきっと目の前にある表情と、寸分たがわぬ気がした。
「ラムザ、なんだと思う?」
「……うーん、分からないな。そんなことできるの」
「飛ぶんだ」
 本当に嬉しそうに、まるでそれが今でも希望であるように。いやきっと、ムスタディオにとっては今でも変わらず、目覚めながら見る夢であるのだろう。
 飛ぶんだよ。
 そう言って、ムスタディオは空を見上げた。まるで今にもそこに飛んでいけるのだというように。つられて、ラムザもそこに視線を投げた。暗く沈んだ世界に、いくつもの輝く光がある。数え切れないそれを、死んだ人の魂だと、そう最初にいったのは誰だったんだろう。もし飛べたなら、会いにいけるんだろうか。
「……昔さ」
 ラムザは口を開く。ムスタディオの心温まる昔話の代わりになるとも思えなかったが、話したいと思った。
「ぼくも星を捕まえようと思ったことがあったんだ」
 テラスに毛布をしいて、星が降ってこないかとじっと待った。けれどいつまで経っても流れ星はやってこなくて、まだ幼かったラムザは疲れきってしまって、けれども諦め切れなくて。そうすると寝台に姿を見つけられなかった執事が慌てて探しにやってきて、部屋に戻るようにと言ってきた。
 当然、ラムザは首を縦に振らなかった。
「星を絶対に捕まえるんだって、そう言い張ったらしくって。よく覚えてないんだけど。星は捕まえられないんだって言われても、諦めなかったらしくって」
 そんなこんなで押し問答を続けていたら、兄二人が連れ立ってやってきた。いつになく騒がしかったので、気になったのだろう。そして二人は何らかの用事の帰りに違いなく、でなければ深夜に庭に面したテラスにやってくるはずもなかった。
 一体なんの騒ぎだ。
 そううっとうしそうに訊いたのは、長兄のダイスダーク。次兄のザルバッグも怪訝そうな顔をしていた。今では大分慣れたが、幼かったラムザにとって、兄達の威圧感は恐怖でしかなかった。
 その日、父親のバルバネスはまた遠征で遠くへ行っていて、だからこそラムザはこうして星を眺めることにしたのだが、それは兄二人にとっても微妙な変化をもたらしたようだ。主に、長兄に対して。ダイスダークは、父親と一緒にいるときに感じていた抜け目なさはどこかなりをひそめ、心なしか柔らかい表情をしていた。今思えば、それも当然だったのだろう。戦に明け暮れていたバルバネスに対して、無邪気な子どもとして相対することができる歳でも、環境でもなかった。だから父親がいない場では、兄たち、特にダイスダークの心がほぐれるのは自然なことだった。
 どうしたんだと再度問われ、普段よりも優しい気配に背を押され、ラムザは答えていた。
「死んだ人の魂は星になるって聞いたから、捕まえれば母さんに会えると思った」
 ぼく、そう言ったんだよ。そうラムザは自嘲するように言ったが、ムスタディオは当然笑わなかった。幼い弟の言葉に、兄たちも笑わなかった。あのときの戸惑ったような沈黙を、ラムザは覚えている。
 今度父上がいるときに、一緒に星を待てばいい。
 そういったのはダイスダークだった。だから今日はもう寝ろと、そんなような意味合いのことをザルバッグも口にした。けれど今日でなければ駄目なんだと訴えるラムザに、二人はますます怪訝そうな顔をした。
 どうして父上がいると駄目なんだ。
 その問いに対して、ラムザは「ちちうえがなくから」と答えたという。そのときの兄二人の表情はよく見えなかった。ラムザは母を喪って父が泣くところを見たことがあるが、あの二人はなかったんじゃなかろうかと、今になって思う。
 誰もが言葉を失う中、その段になってようやくラムザはうろたえた。なにかとんでもない失敗をしてしまったのではと、怖くなった。そしてとても哀しくなって、わけもなく泣きたくなった。慌てて顔を俯けて、鼻をすすった。でも周りの大人に分からないはずがない。ベオルブ家の男子たるものが、などと言われるかと思ったが、予想に反してそっと頭を撫でられた。ザルバッグの手だった。
 共通点の少ない兄弟だった。
 父が同じことと、母を早くに亡くしていること。共通点はそれだけだった。気質も性格も、父親に対する感情も違う。けれども母親のそれに関しては、三人の心を通わせる最も大きな部分だったといえたかもしれない。
 ダイスダークは執事に二、三指示をだすと、ラムザにもう泣くなと言った。それは馬鹿にするようなものではなく、どこか優しさと寂しさをにじませたものだった。あまり泣いては母上が心配してしまうと。それはありきたりな、母親を失って恋しがる子どもに聞かせるには充分すぎるほど定番の言葉だった。
 けれど、自身も母を失ったことのある者の言葉は優しかった。本当のところはどう思っていたかは分からないが、不安で泣きじゃくる子どもには効果的だった。
 なんとかラムザが涙を飲み込むと、執事が居間へと戻ってきた。台所に行っていたらしく、手にカップを持っている。そこから湯気がたっていた。そうしてラムザに手渡したその中身は、ホットレモネードだった。お湯にレモンの汁と蜂蜜を足しただけの簡素なものだ。それをダイスダークは、星のかけらだと言った。流れ星のかけらを少し淹れたんだと。死んでしまった者は戻らないが、星のかけらを飲むことで忘れずにいることができる。そう言った。
「兄さんにしては、随分ロマンチックなことを言ったなって今では思うよ。そのあと聞いた話じゃ、似たようなことをザルバッグ兄さんにも言ったらしいんだ。……いつからか、そんなのは絵空事だって知ってしまったけど」
 ああそういえば、あのときザルバッグ兄さんは笑いをこらえるような顔をしていたかも。そう呟くラムザに、ムスタディオは笑う。「じゃあ今度さ、一緒に星のかけら飲もうな」そう言って笑う。
「からかってる?」
 眉をひそめながらも、ラムザも笑う。優しい思い出に、微笑う。そしてふと空に視線を戻すと、無数の流れ星が降りそそいでいた。いくつも、いくつも。ラムザは呟く。その声は、言葉は、暗いけれど明るい空に吸い込まれていった。
 ああ、星のかけら。





「星のかけら」