事故でもなんでもないキスは、潮の香りがした。
波の音を聞きながらの“二度目”で、自分の唇が柔らかいのだと知った。
自分以外の誰かが触れることで、はじめて。



そっと唇が離れていったとき、海郷はふ、と息をついた。
閉じ込めていた何かが溢れていくようで。
それは彼も同じだったらしく、その静かな瞳には知らぬ光が宿っていた。
それともそれは、彼の瞳に映った自分のものか。
けれどただ、離れてはいかぬ腕を恋しく思うばかりで。

「せん…」
「ブ・ブーです」

え、と漏れ出た声は女では持ち得ない指で出口をふさがれてしまった。

「もう卒業しちゃいましたから、先生じゃないです」
「それって…」
「どうでしょう、この際だから呼び方を変えるというのは」

この際も何も。
そんな言葉が浮かんだが、さらに溢れでるものに遮られてしまう。

私、これの呼び名を知ってるわ。

「じゃぁ先生も私の呼び名を変えるんですか?」
「ピンポンです、海郷さん。……あ」
「???」
「名字で呼んでしまいました…」
「あ」
「先生の負けですね」

残念そうに小首を傾げる。
勝ち負けの問題なんだ…。本当に先生は変わってる、と海郷は思った。
でもね、先生。
私はそんなあなたが大好き。

「私の勝ちですね、貴文さん」
「はい。…でも不思議です」
「何がです?」
「負けて残念ですが、僕は今幸せです」


知っている。
胸を充たすこれを、人がなんと呼ぶか。
なんと、呼ぶべきか。





「i know the name of」