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これは何かの間違いだろうと、思わず言葉が口をついて出た。 憎たらしいほどの静寂に包まれた空を見上げながら、イータン・シャンルンは悪態をつくことも忘れていた。セルシウス騎士団に籍を置いてから18年の歳月が流れ、先年妻のメルレーネが退団し、もうすぐ自分の番かと思っていた矢先にこれだ。退団前の、とんだ爆弾。 嘘だろ。 すぐ隣で、未だ現実に帰ってこれないらしいナーオ・ナーホが呟いた。残念ながら、その感想には無条件で賛同せざるをえない。 お世辞にも仲がいいとはいえないこの二人に、精霊の加護など。 「……精霊が全知全能とか、嘘だろ」 「おそらく教会関係者に聴かれたら審問にかけられるだろうが、甚だ同意せざるをえないな」 「俺らの絆とかいったよな? 精霊って盲目なのか?」 「あるいは人間関係を根本から勘違いしているのかもしれん」 「お前となんてありえねーし」 「せっかくの精霊を間近で見れる機会だったが、迷惑すぎてゆっくり拝む暇もなかった」 「お前と一緒に精霊呼ぶとかおかしいだろ」 「なるほど、今夜は実に奇跡的な夜だな。こうまで意見が一致することなど、きっと一生ない」 「お前、さっきからうるせぇよ」 「奇遇だな、私もお前のその口をふさぎたいと思ったところだ」 二人は視線も合わせないままに、怒涛の勢いで悪態をつきあう。互いを罵りあうときだけは息がぴったりだと、周り全員に思われていても、本人達はそれを認めることはない。 「絶対に精霊なんてよばねぇからな」 「こちらこそ願い下げだ」 吐き捨てるようにいうと、どちらともなく歩き出す。当然、反対方向に。目的地は同じ勇者の酒場だが、意地でも二人で並んで歩くものかといった様子だった。 二人は確かめあうことすらなかったが、この一連の出来事は綺麗さっぱり忘れることにした。馬鹿正直に団長に報告して、戦闘で精霊を呼ぶために協力するなどとんでもない。胸に秘めるというよりは、全てをなかったことにして一刻も早く忘れたかった。互いに同じ気持ちだろうと、分かりたくはなかったが分かっていたので、次の日にメルレーネが笑いながら精霊のことを訊いてきたときには、イータンは盛大にお茶を噴き出さざるをえなかった。 「ナーオと精霊呼んだって?」 「ぅぶほっ!!」 穏やかなお茶の席だった。イータンは貴族にあるまじき失態でもって、テーブルの上の茶菓子を台無しにしてしまった。 「な、なぜそれを」 「最初に聞いたときは思わず幻聴だと思ったんだが、本当だったのか」 しまった、と思っても後の祭りだった。不機嫌を装って一蹴すればよかったのだ。実家ですっかり気が緩んでいたとはいえ、己の迂闊さにイータンは吐き気がした。 昨夜の出来事が、いやでも頭によみがえる。 どうにか体勢を整え、楽しそうにしているメルレーネに向き合う。今からでもどうにか誤魔化そうと口を開いたところで、全てを邪魔する足音が飛び込んできた。 「てめぇこら、イータン!!!」 思わず、イータンは右手で顔を覆った。あの単細胞は、いつだって邪魔をする。ああもう忌々しい。 「てめぇ、昨日のこと喋りやがったな!?」 「黙れこの阿呆が!」 「なんでシェリルに『精霊下ろしたんですってね?』とか言われながらお祝いされなきゃいけねぇんだ! ふざんけんな!」 「それを言うなら貴様だろう! 大方酒が入っていつも以上に緩んだ脳みそで、どこぞに言いふらしたんだろうが!」 「するかボケ! 昨日は精霊のせいで酔えなかったんだっつの!」 「馬鹿か! そうやって口を滑らせたんだろうが!」 「んなわけねぇだろ!」 二人とも三十路をすっかり超えたいい大人だったが、子どものときに戻ったように胸倉をつかみ合った。その様を懐かしそうに見やりながら、思いついたようにメルレーネが口を挟む。 「教えてきたのはイガーナだぞ?」 「は?」 「なんだって?」 優雅に淹れなおしたお茶を啜りながら、メルレーネは二人に席を勧める。騎士団を引退してからというもの、彼女はもう鎧をまとうことはなく、その身は繊細なつくりのドレスに包まれている。 すっかり貴族の奥方といった風体の彼女は、既に引退したナーオの妻のシェリルとだけではなく、色んな相手と交流を持っていた。ナーオは密かにそれを奥様連合と呼んでいるのだが、どうやらそこから漏れ伝わったらしい。 「しかし何故イガーナが?」 「なんでも、昨日の宴で二人から精霊の気配を感じたんだそうだ」 騎士団恒例の宴の裏側では、引退した奥方たちの宴があったらしい。そこでは隠し事などないに等しい。おそらくまだ騎士団員として健在なイガーナは、精霊の気配とやらを感じとったあとすぐに、女達の宴に顔を出したのだろう。 イータンとナーオは同時に溜め息をついた。 「……ということは、もう既に」 「団長にも知れているだろうな」 ああもうどうにでもなれ。 さっさと自主退団でもするかと、二人は胸のうちで密かに思った。
本当に呼べるのか。 団員達がそう思っているのが、ありありと分かった。半信半疑といった体だが、その裏に少しの好奇心が見え隠れしているのが更に気に食わない。ナーオは不機嫌な様子を隠そうともしないままに、戦闘前の調弦にいそしんでいた。 長期間の遠征を経て、今はサンパロスの街にいる。あとは王都に戻るだけだということで、実験的な意味合いも兼ねて精霊を呼ぶことになっていた。 ちらりと横を見れば、同じく不機嫌そうなイータンが立っている。 団長に命令されてしまえば、団員としては逆らえない。しかもそれが大真面目な団長で、これからの戦闘の判断材料にするから、などといわれてしまえばたまらない。相手は中クラスの魔物だから、実験にもちょうどいい。 分かってはいるが、どうにもおもしろくない。 おもしろくはないが、魔物は待ってくれない。 ずしんずしんと、地面が揺れ始めた。巨人族らしい、周囲にあるものに対する配慮なんて感じられない足取りだ。イータンに言わせれば、それは人間も同じだなんて言うんだろうが。 団員達が各々配置につき、武器を構える音がする。ナーオも竪琴を構えると、忌々しい気配が背後に近付いた。 メルレーネが退団する前から、なにかとイータンとナーオは組まされた。どんなに文句を言ってもニナにやんわりと流され、次第には諦めた。けれどまさか、精霊なんてものを呼ぶためにこうして組むとは、思ってなかった。 いい迷惑だ。 背後でイータンがそう呟いた気がした。同感だ。そう呟いた声は、聞こえたかもしれなかった。それを裏付けるように、いささか暴力的な攻撃補助魔法がナーオにせまる。このやろう。悪態をつくが、魔物はすぐ目の前に迫っていた。 他の団員達が攻撃をしかけるのを尻目に、ナーオはひたすら竪琴を奏でる。ナーオの攻撃に、物理的な力はない。耳を伝い、鼓膜を超え、脳髄に直接働きかける。飛んでくる矢や切り下ろされる刃をやり過ごして、ふと気付いたときには音が全身を支配している。ジャイアントもまさに今、そういった状況だった。打ち消すように低く吠え、ナーオに殴りかかる。 圧倒的な暴力を阻むのは、イータンの防御魔法。衝撃があっさりと霧散すると、団員達はさっと距離をとった。 いよいよきたか。 どこかうんざりした気持ちで、またどこか別の感情がひそむのを無視しながら、ナーオは新たな旋律を奏で出す。それに寄り添うように、イータンの魔力が環を作り出す。 二人とも精霊を呼ぶ術などしらない。 だから各々の方法で、精霊に呼びかける。精霊インフェルノに。 魔力が空へ空へと昇っていく。やがてそれは空のある一点に到達すると集約しだし、瞬間的にはじけた。視界が真っ白に染まり、現れたのは激しい炎をまといし精霊。破壊と、英知を与えし精霊。 精霊は、何事かを二人に呼びかけた。 そうして炎が魔物を取り囲むと、あっというまにその身は灰に還った。断末魔の叫びさえ、炎に燃やし尽くされた。一連の出来事は風のように滑らかで、あっという間だった。 団員達はぽかんと口をあけたまま空を見やり、誰からともなく「本当にきた」などと呟いた。精霊を見るのもはじめてで、呼んだのがあの二人だというのが何よりの驚きだった。けれど同じく驚いているだろうと思われた二人は、そろいもそろって苦虫を噛み潰したような顔をしていた。 「どうしたんです?」 「……なんでもねぇ」 「聞かないでくれ、忘れたい」 イータンとナーオは別々の方向に歩き出す。互いに深く眉間に皺をつくり、どうにも忌々しそうな様子だった。その後姿を見やりながら、イガーナがぽつりと呟く。 「同じものに命をかけられることもまた、絆」 「イガーナ?」 他の団員の怪訝そうな声に、彼女は笑った。遠ざかっていく二人の背中を交互に見やり、舞うように小さく、礼をとった。精霊の消えた、青空へと。 ああ、全ては精霊の御心のままに。
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