毒のある花

 ニナ・イクハが生涯その魂を捧げることになる相手と出会ったのは、彼女が十二歳の時だった。
 有力貴族たるバルド家の当主に仕える母に言われ訪れた別邸で、彼女はフレズベルグという名の少年と出会った。年の頃はちょうどニナの半分といったところで、幼さというよりは無知さを漂わせた瞳が、彼女をじっと見つめていた。黒髪に、黒目。なにもかもが、現バルド家当主とはかけはなれた顔立ちをしていた。
「だれ?」
 外見を裏切らぬ幼さそのままに、仕えるべき主はニナに問うた。
「はじめまして、フレズベルグ様。ニナ・イクハと申します。これよりあなた様にお仕え致します」
「え……わ、私に?」
 膝をついたままの姿勢で、ニナは更に深く頭を垂れて、是と答えた。
「これより私に何でもお申し付けくださいませ」
「なんでも?」
「はい。手となり足となり、魂の一欠片まであなた様のために尽し、御身の楯となり死すものです」
 それは誓句だった。
 フレズベルグには知る由もなかったが、それはイクハの名を持つものたちが唱える誓句だった。ニナはその整った唇をゆるくしならせる。その一連をフレズベルグの目は追った。ご命令を。彼女はそう言った。
「めいれい……」
「はい、なんなりと」
「ニナ……さんは」
「どうか、ニナと」
「えっと、ニナ、はそれでいいの……ですか」
 戸惑ったようなフレズベルグに、ニナは顔をあげた。美しい顔に怪訝が浮かぶ。
「といいますと?」
「……私のことを、知らないのにちゅうせいを誓う、とか……」
 たどたどしく、主は言った。口に出すべきか迷っているのだろうか、あるいは言葉が予想以上に不自由なのか。
「……私はあなたに仕えるように言われております」
 フレズベルグは首を傾げた。ニナもそれを見て、更に困ったように主人を見つめる。
「私はあなた様のお側におります」
「ほんとうに?」
「はい」
 その時嬉しそうに輝いた瞳を、結果として、ニナは生涯忘れることはなかった。
 それから彼女は宣言通り、フレズベルグのそばにずっといた。彼女としても、類稀なる才能を彼が開花させるごとに、誇らしさで胸がいっぱいになった。前情報だけで構成された認識の穴が埋まっていくたびに、忠誠心と呼べる感情が沸き上がってきた。
「素晴らしい記憶力です。発想も悪くない」
 家庭教師たちは口々にそう褒めそやかした。
「一度教えたことは決して忘れません。天性のものでしょうね」
 剣の師匠も感心したように言っていた。
 概ね、ニナは主に満足していたといえる。若干世間知らずの気はあったが素直で、物覚えがよく、ひたむきだった。なによりニナに大きく心を許してくれているのは嬉しかった。
 ニナは三兄弟の末っ子で、兄と姉はそれぞれ当主の子ども達に仕えていた。ただ一人、ニナにだけ仕える主がいなかった。バルド家そのものに忠誠を誓っていたとはいえ、特定の誰かがいるのでは大違いだ。兄は次期当主を弟のように守り、姉はご令嬢と姉妹のように育ってきた。
 ニナはひとりだった。フレズベルグがやってくるまで。
「ニナの母上はどんな人?」
 ある日、主はニナに問うた。彼女の前では、フレズベルグは幼さをにじませた言動をとる。それが嬉しくもあった。
「私の母ですか?」
「うん」
 フレズベルグは期待をたたえながら、ニナを見つめていた。彼はおそらく母親というものがどういうものか知りたいのだろうけど、あまり参考になるような話はしてあげられないと思った。
「厳しい人です。バルド家に仕える者として、ひたすら厳しく育てられました」
「怒られた?」
「はい。それでも、優しいときもありました」
 不安そうに首を傾げた主に、ニナはできる限り優しい思い出を語った。フレズベルグに決して嘘はつきたくなかったので、数は多くなかったが、母親の優しさやぬくもりを感じられるような話をした。そのひとつひとつに、フレズベルグは熱心に聞き入った。
 彼は母親を知らない。
 戸籍上の母親はいても、フレズベルグは話したことすらない。遠目に数回見たくらいだろう。それもそのはず、奥方はフレズベルグを憎悪しているのだから。嫌悪では生ぬるい。殺してしまいたいと思っているはずだった。それは次期当主にも、令嬢にも言えることだが。バルド家にフレズベルグを迎え入れたご当主だって、彼を道具程度にしか見ていないだろう。
 ニナの主は、愛を知らなかった。
 いやあるいは、愛を知る機会はあったのかもしれない。
 フレズベルグは捨て子だったらしい。王都のど真ん中で打ち捨てられていたのを、本邸の馬丁が拾ったと聞かされている。身体は大きかったが言葉は不自由で、それまでの一切の記憶がなかった。名前しか言えなかったが、けれども子どものいない馬丁夫婦は彼を大事にしただろう。
 けれど、何の運命が彼に味方したのか。あるいは敵対したのか。
 お屋敷深くに眠っていた漆黒の鎧が、何百年も沈黙していたそれが、フレズベルグを選んだ。主を選び、声なき声をあげた。
 もっとも力の強い、気高い鎧の鳴動に屋敷は騒然となり、やがてフレズベルグは見出された。彼は即座にバルド家の養子となり、ロキの名を与えられ、バルド家お抱えの騎士団を率いる宿命を背負わされた。本来なら次期当主のものとなるはずだったそれは、次期当主に才能がないという一点において、フレズベルグのものとなった。
 憎まれるのは、必然。
 彼に与えられたまやかしの全てのなかで、憎しみだけが本物だ。与えられた名、与えられた家、与えられた未来。そして、与えられた従者。
 ニナさえ贋物だった。
 なんという不実だろう。忠誠を誓いながら、この身を捧げつくすと口にしながら、もし当主に命令されれば逆らえない。不要になれば即座に斬り捨てられてしまう主。もしそのときが来るとすれば、刀を手にするのはニナだろう。
「……ニナ?」
 フレズベルグに対する想いが深まれば深まるほど、ニナは苦しくなった。仕えるべきはバルド家。魂がのぞむのは、一体。
 心配そうにのぞきこんでくる主を見て、ニナは力なく笑った。


  * * *


 フレズベルグが12を数える頃までは、日々は淡々と過ぎた。
 団を率いるものとしての教育と、心身を鍛える日々。日がな一日中、別邸で鍛錬ばかりを積んでいた。そしてその傍らに、ニナはいつもいた。
 けれどある日、本邸に呼び出され、当主から「そろそろ鎧を授けるか」と言われたとき、ニナは来たかと思った。
「いよいよですか」
「騎士団の面々にも会わせる必要があるだろう」
 準備させておけとだけ言って、当主はさっさと退出してしまった。冷たい床に膝をつきながら、これは次期当主や奥方が黙っちゃいないだろうなと溜め息をつく。今までにも何度か、嫌がらせのようなことは何度か受けてきた。その度にニナが退けてきたが、これが本格的にならなければいいと、そんな夢のようなことを思っていた。
 溜め息をどうにか押し殺して別邸へと帰りつくと、庭で鍛錬しているフレズベルグの背中が見えた。
 ここ六年でぐんと伸びた背丈と、たくましい輪郭。ひどく重量のあるはずの武器を片手で持ち、易々と振り下ろしている。幼い頃は柔らかさばかりが目立った顔立ちは、無駄なものを削ぎ落としたように鋭利だった。前を向く眼は、ひたすらひたむきだ。こんな主を、誰も彼もが記号としてしか見ていない。鎧に選ばれた、貴族お抱えの騎士団を率いる存在。ただの操り人形。名ばかりの貴族。魔騎士になる素質しか持たぬ、哀れな子供。
 しかし果たして、そうだろうか。
「―――ニナ」
 気配に気付いたらしいフレズベルグが振り返り、ニナを呼んだ。鋭さが宿っていたはずのそこには、別の柔らかな感情が宿った。思わず、心が傷む。
 彼は鍛錬を中断すると、貴族らしい優雅さを身につけた足取りでニナに近寄った。
「旦那様に呼ばれていたんだろう。なんの用事だったんだ」
「……鎧を授けてくださるそうです」
「いよいよか」
 フレズベルグが静かに頷く。ええ、とニナも静かに応える。
 そうして鎧との対面は三日後に設定され、騎士団への顔見せも近いうちに行われることになった。たとえそうなっても淡々と日々を過ごす主が、ニナには誇らしく、哀しく映った。
 そして、なんらかの刺客なりを覚悟していたニナとは裏腹に、その日はあっさりと訪れた。
 本邸へと足を踏み入れたフレズベルグは戸惑った様子もなく廊下を歩き、広間へと入った。そこには当主、奥方、子息と令嬢が勢ぞろいしていた。広間の奥には黒い鎧が鎮座していて、フレズベルグの意識は先ほどからそれに一切奪われている。そんな主の様子を、ニナは固唾をのんで見守る。
 当主の声になど耳を貸さず、フレズベルグは足を踏み出した。
 流れるように彼が兜を手に取ると、先ほどから鳴動していたような空気が落ち着きを取り戻した気がした。まるで先ほどまでそうとは知らない耳鳴りが空間を支配していて、今ようやく正常に戻ったことでそれに気付いたとでもいったような。
 今度はニナが足を踏み出し、主に近付いた。鎧を身にまとおうとするフレズベルグを、無言のまま手伝う。ひとつひとつ、確かめるように身にまとう。最後に紅のマントを着せかけてやると、ニナにはそれがとてもフレズベルグだとは思えなかった。
 純然たる力が具現化したような、そんな印象だった。
「決まりだな」
 当主が静かに口を開いた。その髪には白いものが混じり、かつてのような鋭さは若干薄れたように思われた。
「まだです、父上。鎧に食われないとも限りますまい」
 口を挟んだのは次期当主だった。
「そうですわ、あなた。あの鎧は一番古く、力の強いものです。背負えきれる者など、そうそうおりませんわ」
「ふむ、まぁそれも当然だな」
 一つ頷くと、当主はフレズベルグに三日三晩鎧をつけて過ごすことを命じた。どんなに頑強なものでも、鎧に拒まれれば三日しないうちに発狂してしまう。けれどニナには、当主は大丈夫だと確信を抱いてるように思われた。ニナにも、その確信があった。
 端から見ていても、フレズベルグと鎧はひどく馴染んでいた。
「どんな気分ですか?」
 別邸への帰り道、ニナは思わず問いかけた。兜があると当然表情が見えないので、なんだか違和感があった。彼はしばらく考えたあと、ぼそりと答えた。答えを見つけ出そうと黙り込むそれが、いつもと全く変わらなかったので、ニナは少しほっとする。
「……声が聞こえる」
「声?」
「聞き取れないくらい小さくて、沢山の声だ」
「だ、大丈夫ですか?」
「怖くはない。優しくはないが、傷つけるものではない。……どちらかというと、哀しい」
 それに、と。どこか戸惑うようにフレズベルグは続けた。
「どこか懐かしい」
 死をまとう鎧に向けて哀しいといったのも、懐かしいといったのも、きっとフレズベルグぐらいだろう。ニナはそんな風に思った。バルド家の者たちは多かれ少なかれ、鎧に対して忌々しい思いを抱いてきたのだから。
 選ばれるべくして選ばれたのかもしれない。
 なんのためにか、誰にかは分からないけれど。


  * * *


 研ぎ澄まされた殺意というのは、水滴のようだ。
 一瞬だけ閃いて、さっとなりをひそめる。それはまるで水滴が水面に落ちたときのようにかすかに音をたて、静かな波紋の余韻だけを残す。
 ニナはさっと眼を開いた。彼女は椅子に腰掛けたまま眠っていたので、そのまま膝を立てて飛び上がるのも容易だった。腰掛けていた部分にナイフが突き刺さる。飛び掛ってきた黒い影に回し蹴りをいれ、ためらいなくクナイを振り下ろした。
 返り血が飛ぶ。頭の芯は恐ろしいほど冷えていた。
 すぐさま隣室のフレズベルグの寝室へと走る。扉を開けると、一つの人影が床に倒れ伏していて、更に二つが壁を背にしたフレズベルグと向き合っていた。
 ニナは瞬時に動き、今にも主に切りかかろうとしていた刺客の背後をとる。クナイを一閃させると、頬に濡れた感触が広がった。絶命したそれには目もくれず主を探せば、もう一人の刺客は、あえなくフレズベルグに敗れ去っていた。
「お怪我は?」
 他の気配を探りながらニナが問うと、フレズベルグは首を横に振った。
 主の足元に転がっていた刺客をどけると、ニナは己の目でちゃんと確かめようと灯りをつけた。兜をとったその顔は若干青ざめていたが、見たところ怪我はない。そこでようやくニナは小さく息をついた。けれど安心している場合ではなかった。フレズベルグの倒した刺客は殺されたわけではなかったので、ニナは手早く縛り上げ、剣戟の音に遅れてやってきた部下に引き渡した。
 誰からの刺客か。
 拷問しても吐かないだろうし、拷問しなくても知れている。大方、鎧に食われて自死に見せかける、といった筋書きだったのだろう。果たしてどこまでの人間が関わっているのか。部下に指示して、死体と捕虜をフレズベルグの前から遠ざけさせる。
 きちんと整えられた新しい部屋に主を促そうと振り向くと、フレズベルグは急にニナの腕をとった。
「フレズベルグ様?」
「怪我は」
「ありません」
「本当か」
「あの程度の敵には遅れはとりませんし、……それに、あなた様は私のことなど心配なさらなくていいんですよ」
「そうはいかない」
 彼の目は燃えているようだった。興奮しているのだろう。ニナも、見た目ほど冷静とは言いがたかった。久しぶりに、血を見た。
「無茶をするな」
「あなた様を守るのが私の仕事です」
「知っている。でも、怪我をしたらどうする」
 ニンジャを心配することが、侮辱にあたることだと彼は思ってはいないのだろう。主を守って死ねるなら、本望なのに。不実に生き続けるよりは、遙かに幸せなのに。
 私はニンジャなのだと、そういおうとして、止まる。
 フレズベルグの必死の瞳が、ニナの言葉を押しとどめてしまう。
「私の、そばにいるのだろう?」
「……はい」
「死ぬくらいなら守らなくていい。だからそばにいてくれ」
 その願いは、ニンジャを殺すことだ。ニナの捧げられる忠誠を、根底から覆すことだ。彼は、それを分かっているのだろうか。
 けれどニナの胸にその時去来したのは、怒りではなかった。失望でも、呆れでもなかった。腹の底から突き上げるようにこみあげたのは、愛しさだった。ああ、なんて哀れな人だろう。
 その想いに導かれるように、ニナはフレズベルグに手をさしのべた。頬に、手を寄せる。
「そばにいますよ」
「本当か?」
「はい。私は、あなたのそばにいます。そして、守ります」
「ニナ」
「私が、守ります」
 あなたのそばにいるために。
 あなたを害するものを全て滅ぼしましょう。あなたを脅かすものを全て消し去りましょう。たとえそれが肉親でも掟でも。ここに改めて誓いましょう。もう迷わない。あなた以外の全てを、切り捨てると。
 ニナは笑った。
 豪華に咲き誇る花のように。毒のある、美しい花のように。

TOP
INDEX