私が好きなのはあの人だと思っていた。



 すっかり習慣になってしまった溜め息が、ケータイのディスプレイにかかった。つられるようにボタンを押そうとして、でも無意味だと思い出して呼び出していた画面を閉じる。
 なにしてるんだろう。
 そうひとりごちる。もう何度も繰り返してきたから、いい加減飽きた。でもしばらくしたらまた自分はケータイを開いてその名前とにらめっこするのだろう。
 佐伯照。
 突然相談もなしに学園を去り、連絡がとれなくなった。
 ヤツと私の関係を形容するならいわゆる悪友というやつで、よく言えば親友で、振り向いてはもらえない人の背中ばかりを見ている私の背中を押してくれていた。
 別にヤツがいなくちゃダメってわけじゃない。確かに恋の相談はできなくなったけど、結局実際に行動を起こすのは私自身だ。
 ならば何が問題なのか。
 それが自分でも分からない。なんで渡すあてもないチョコなんて用意してるのか。それは鞄の中に行儀よく収まっている。いっそ鞄から飛び出して食べられなくなってしまえと思わないでもないけど、きっとそうしたら自分はそれを丁寧に拾い集めるだろうとしっている。
 意味なんてない。そう思う。
 身勝手にいなくなってしまったヤツのことなんて。そう。私は怒ってるのだ。ヤツ自身にも、ディスプレイを見るしかできない自分にも。
 怒りのまま海岸沿いに足を進める。
 そこに何もないことは知っていたけど、目指さずにはいられなかった。
 珊瑚礁。
 あれだけ大切にしていたものを手放して、それで仕方がないと諦めるほど聞き分けのいい大人なんかじゃないくせに。佐伯照はそんな情けない男じゃない。子供で、わがままで、あまのじゃくで、器用なくせ不器用で、それでも色んなものをとりこぼすくらい大事にしてるものがあった。
 なのに何故、ここに灯りがないのだろう。
 ひっそりと静まりかえって、潮にただようコーヒーの香りも、幸せそうな笑顔もない。
 珊瑚礁は暗い海の底にいる。
 ―――もう、やめちゃえよ。
 あの言葉を渡されたあの時も同じように静まりかえっていたけれど、夜明け前の海のように光の予感があった。きらきらとした水泡が海の底で今か今かと空を覗いていたのに。
 ここに佐伯照がいない。
 きっとそれが、珊瑚礁が海に沈んだ理由だった。
 きびすを返そうとしたところで、何の色気もない着信音が空気を震わす。まさかと思いつつ、急いでメールを開いた。
 あの人からだった。
 会いたいな。
 そんな一言だけ。あの人はいつも私を振り回す。そんな話を聞く度に佐伯は青筋をたてたが、私が余程ひどい顔をしていたのだろう、いつも何も言えずに不器用な笑顔をつくっていた。
 そんな笑顔じゃなくて、学園で見せていたあの重苦しい笑顔でもなくて、バカみたく大口あけて喜ぶ佐伯照を私はしっていたはずなのに。いつからあの笑顔を見なくなっただろう。そんなことすら思い出せない自分は、一体なにを見ていたのだろう。
 私はそのままメールを閉じた。今は返信する気にはなれなかった。
 そして気付く。
 望みのない恋愛に身を投じることができたのは、佐伯がいたからだ。頑張れとかやめちゃえとか、相反することを言うくせに、最後には大丈夫だと頭をくしゃくしゃにしてきた佐伯照がいたからだ。
 私は甘えていたのだ。
 甘えていたのは彼の方だと思っていた。癇癪を起こして、ひねくれた攻撃をしてきて、そうして甘えていたのだと。でも違う。甘えていたのは私の方で、だから彼は何も言わずに去ったのだ。
 陽が水平線に沈む。
 私はしばらくそこから動けなかった。


 なんでいなくなっちゃうの。
 呟きは意味をなさない。返る言葉はなく、そもそも問いかけですらないから。それはきっと懇願に近いものだ。
 なんでいないの。
 その言葉ばかりがあの日から頭を駆け巡っている。





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