06

 生きるということは、力強い。
 チトセ・エンライはそれを間近に見ていた。一つの大きな揺り篭のなか、二つの新しい命が並んでいる。生まれたばかりの、チトセの息子たちだった。
 兄がライセ、弟がイツセ。
 懐妊が発覚したときから、ああでもないこうでもないと頭を捻らせた。考え付いた名前は二つ。結局どちらにも決められなくて、実際に子どもを抱いて決めようと考えた。そして騎士団本部の、この一室で陣痛が始まったのが夜明け前。今はすっかり日ものぼりきっている。そうして生まれてきたのは双子だった。
 不意に、頬を伝うものがあった。
 慌てて手をやって揉み消す。果たして見られていたかと寝台の妻に向き直る。だが彼女も泣いていた。疲れ果てているはずの体で、枕元の息子たちを見つめてはらはらと涙を流していた。チトセはイリアネの手に手を重ね、よくやった、と声をかけた。何度目になるか知れなかった。
「二人でひとつなのね」
 ぽつりと、彼女が呟いた。
 それはその通りだと思った。きっと、何があっても二人で助けあって生きていくのだろう。
 彼女が目をつぶった。
「疲れたろう。少し休むとよい」
「私たちが見てるわ」
 すでに子を生んだことのある団員の言葉に安心したのか、少し眠るわね、と寝台に深く身を沈める。
「チトセも、息抜きしてくるといいわ」
「だが…」
「あんだけ大慌てしたんだから、喉乾いてるでしょ」
 からからと笑われてしまえば、ただ黙りこむ以外の術はなかった。そんなに取り乱していただろうか。確かにうるさい、と途中で追い出されはしたけれど。あと差し出された水を慌てて飲んでむせたりもしたが。……いや、考えるのはよそう。結局、かたじけない、と呟いて外に出ることにした。
 空が高かった。
 今まで見えていた世界より、一段と明るかった。ひとつひとつの色がはっきりしたようにすら感じた。新しい命の誕生を見ていたのはこの目のはずなのに、まるでこの世に産み落とされたのは自分自身であるかのような気さえする。いや、弟のイツセが息をしないまま生まれてきた時、確かに自分は死んだのだ。そして、イツセが息を吹き返したときに自分もまた等しく生まれた。それは非現実的な考えだったかもしれないが、すとんと胸の底に下りた。
 本部の庭をすすむ。切り揃えられた草がさくさくと音をたてる。
 ふと視界の端に虹をとらえた。
 今朝から太陽はいっそ憎たらしいほど世界を照らしていて、雨が降った形跡はなかった。誰か水でも撒いたのかと思ったが、虹が出ているのは屋根の上だ。屋根に水を撒くやつはいない。少なくとも、この本部内には。立てかけられた梯子を見付けて、チトセは上ってみることにした。
 屋根の上には、案の定人がいた。ユーゲンだった。高いところに彼はいつもいる。
「ユーゲン殿」
 ぽつりと名を呼ぶと、閉じていた瞼の奥から青みがかった灰色の瞳が覗いた。ユーゲンはただ軽く会釈をしただけで、何も言って寄越さない。その彼の周りには、いくつかの水球が浮遊していた。彼がもっとも得意とするのは水魔法らしく、よくこうして戯れに術を使っているところに遭遇したことがあった。鍛練かと思っていたが、趣味だと教えられて以来、チトセは理解を諦めた。彼は水や風や、そういった、在ることに理由を見い出せない。そういうものだった。
 チトセは身の置き場にいささか困ったが、魔術師は黙したままだ。ならば、と屋根の上にすっかり登ってしまう。空が近かった。今なら何かを掴めそうだった。
「生まれたかい」
 ユーゲンはいきなりそんな言葉を投げて寄越した。何の前触れもないところから取り出したように、ぽんと。そのせいか、チトセは意味を解するまでに若干の時間を要した。返事をするにはいささか不自然な間を残して、ようやく声を取り戻す。
「あ、ああ。男の双子でござった」
「名前は」
「兄にライセ、弟にイツセと名付け申した」
「おめでとう」
 そんな言葉のやりとりをする間も、ユーゲンは空を見ていた。自然、チトセも雲の行方をぼんやりと眺めることになる。随分な態度ではあったが、そういうものなのだろうと自然と受け入れていた。
 のどかな時間だった。
 ともすれば先ほどまでお産で慌てふためいていたことなど、忘れてしまいそうになる。けれど。
「イツセは危なかった」
 どうしてなのか、そんな言葉を溢してしまった。
 ユーゲンの視線がチトセに注がれる。その表情から何かを読み取ろうとして、読み取られているのは己のほうだと気付いた。
「最初、イツセは息をしないで生まれてきた」
 心の中を整理することもできぬまま、言葉はこぼれていく。綻びのようなものかもしれなかった。
「体はあたたかったが、力なく、うめき声のひとつもあげなかった。皆の沈痛そうな顔がやけに腹立たしかったのを覚えているだけで、拙者はただ立っていた」
 そこまで言ってから果たして相手は聞いているのか気になったが、確かめるのは少し怖いような気がした。
 結局、瞼を下ろして世界を遮断してしまう。
「もう駄目だと思った」
「だが息を吹き返した」
 さして間を置くこともなく、ユーゲンは言ってのけた。まるで見てきたように。
 チトセは思わず目を開く。だが視線が交わることはなかった。ユーゲンはまた目を閉じていた。歌うように言葉を操る。
「ライセが呼び戻した」
 その通りだった。
 お産をしていた部屋からは随分離れているのに、一体どうやってそれを知ったのだろう。
 やがて冷たくなっていくだろう体を抱えたまま、あのときチトセは何を考えていたわけでもなかった。思考は漂白されたように停止し、妻が疑問の声をあげるまでそうしていた。チトセ、と呼ばれて肩が揺れた。何と言ったらいいか分からなかった。言うべき言葉など、果たしてどこから拾いあげればいいのか。けれど不安にかられる妻の声は、次第に大きくなっていく。チトセは意を決さねばならなかった。
 その時だった。
 それまで小さな泣き声しかもらさなかったライセが、一際大きく泣き出した。
 殺してくれるな。
 そう言われてるようで、ぎくりとした。死を宣告してくれるなと。まだ生きていると。慌てたように付き添いの魔女がライセをあやし出した。けれど声は収まらない。ますます大きく強く、声は響く。するとイツセは、呼応するようにひとつ息を吐いた。まるで呼ばれたかのように。チトセは思わず凝視して、そうだ、と呟いていた。そうだ、頑張れ、頑張れ。頑張るんだ。ひたすらそう繰り返し語りかけた。ライセも大きく声を張り上げている。そしてイツセは、ついに兄の声とぴたりと重なりあうように産声をあげた。
 あのとき生まれて初めて、全身から力が抜けるという体験をした。けれど尚、イツセを抱く腕はゆるがなかった。
 一連の出来事はおそらく、チトセが思うよりも遥かに短い時間の中でのことだったのだろう。けれど、戦闘のなかで全てが止まっているかのように錯覚する瞬間と同じように、ひとつひとつを克明に思い出すことができた。
 イツセはあのとき間違いなく、ライセによってこの世に呼ばれたのだ。それは自分のなかで確固たるものとして宿っていた。
「見てきたように言うのだな」
 ぽかんと口を開けていたのを取り繕うように、チトセはユーゲンを見た。彼は目を閉じたまま、水球で戯れている。
「精霊が騒がしかったから」
 呼んでるような声がしたんだよ、とどこかぶっきらぼうに答える。精霊の話をするときはいつも彼はこんな調子だった。
 ユーゲンは言うだけ言うと、屋根から降りようと身じろぎした。さっさと梯に手足をかけている。
「ささやかなお祝いだけど」
 そう呟き、空を指差す。
 つられるように見やって、あ、と声がもれた。
 鮮やかな青の上に、七色の帯がかかっていた。以前ユーゲンが戯れに作っていた小さな虹とは比べ物にならないほど大きく、色もはっきりしている。
 雨など降らなかったはずだ。彼の仕業に他ならなかった。どうやったかなど、原理なども知らない。けれどあの不思議な魔術師が生み出したのだ。
 お祝いだと言っていた。
 はっと気付いて見渡したときには彼の姿は既になく、チトセは一人屋根の上にいた。
 あれがユーゲン・シャンルン。
 父と精霊をおろした魔術師なのだと、改めて思った。




 最初に旅をしてから、随分と経ったように思う。
 けれどまだまだ道の途中だ。
 入団してから十三年が経ち、ミナセが退団してから四年が経った。イリアネがチトセの子供を先ほど産んで、ミナセは祖父となった。
「おめでとう、念願の男の孫じゃないか」
 ユーゲンは祝福の言葉を贈る。
 物言わぬ墓に向かって。
 昨年、ミナセは待ちわびた孫の誕生を待たずして亡くなった。ついこの前までは長女が生んだ女の孫をその手に抱き、今度は男の子がいいなどと言っていたのに。あっさりと、彼はいなくなってしまった。
「惜しかったね、あと一年待てば抱けたのに」
 広場で売っていた青い花を手向けつつ、ユーゲンは軽口を叩く。でも見てたんでしょ、と。
「孫を助けてやるなんて、あなたらしいよ」
 ユーゲンはそう思っていた。誰にも言わないし、言う必要もないが、ミナセならやりそうだと思った。死んだあとまでお節介だなんて、彼にぴったりだ。
 更に言うなら、奥方のあとをさっさと追うところも実に彼らしい。そんな急がなくてもとは思うが、それだけ好きだったってことだろう。あまりにもあっけなくいなくなってしまったので、ユーゲンは肩透かしを食らったような気分だ。
 早すぎると、そう思う。
 まだ実感がわかない。なんとなく淋しくなってしまった隣にもようやく慣れたばかりだというのに。
「まぁでも」
 またすぐ会える。
 時間が経てばまた否応なく、彼に付き合わされて酒を飲まされたり歩き回ったりするに違いない。それまで自由を謳歌させてもらうとしよう。
 ユーゲンはそう笑って、踵を返した。視界が赤く染まる。落日の色彩だった。太陽は真っ赤だ。

 あの精霊の色だと、そう思った。

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