笑顔であるために
04

 イータンは眠り続けていた。
 森の異変に気付いた騎士団の面々がナーオとイータンを発見したときには、魔術師は意識不明の状態だった。ナーオも怪我を負っていた。なんとかその場は歌い続ける黒の森のおかげで盗賊団から逃げおおせたが、騎士団は重い空気に包まれた。
 ナーオを腹と足に矢を受けていたが、すぐさま目を覚ました。問題はイータンだった。
 王都に近い位置だったのですぐさま二人を本部で休養させることができたが、彼が目覚める気配はなかった。
 幸いにして世界に魔物の気配はなかったので、フレスベルグはしばし休息を言い渡す。
 メルレーネは憔悴した顔で、幼馴染の枕元に佇んでいた。
「ちっとは休めよ」
 ナーオがそう声をかけても、首を横に振るばかりだ。
「おまえ、ずっとこの半月ろくに寝ちゃいないだろ。俺が見とくから休め」
「でも……」
 メルレーネは心配そうにナーオを見た。放たれた矢は骨まで達していたが、命に別状はない。看病くらい苦でもないと告げると、ようやくメルレーネは動く素振りを見せる。
「なんかあったらすぐ呼ぶから」
 そう言って止まりかけた足を促すと、ようやく彼女は部屋から出た。
 大きく息を吐いて、冒険者は枕元に腰掛けた。憎々しげにイータンを見つめる。余計なことしやがって、と呟くが、常にないほど弱い声音だったので舌打ちする。
「早く戻ってこいよ、このバカ」
 医者の話では、魔力の影響だろうという話だった。詳しいことは分からない。騎士団の中で最高の魔力を誇る魔女でさえ、現状維持以上のことはできないと言った。あとは本人にかけるしかないと。
「っていうか何してんだ? 呑気に寝てる場合じゃねぇだろ」
 ナーオは頬をつまんだ。昔はこうして力いっぱいお互いの頬をつねったものだ。成長していくにつれて、やがてそれは拳になったが。
 指先に力をこめてみるが、反応はない。
 ナーオはバカらしくなって手を離した。手持ち無沙汰なときは自然と竪琴に手が伸びる。近くに竪琴を引き寄せると、ゆっくりと絃を弾きはじめた。思えば、最初から第一印象は最悪だった。イータンと最初に知り合ったのはメルレーネで、奴の話は耳にタコができるくらい聞かされていた。とても大人で紳士的で、優れた魔力の使い手だと。内心面白くなかった。だが屋敷の庭でメルレーネに一曲弾いてやってるところに奴が現れたとき、腹立たしさをおさえてナーオは挨拶した。どんな反応をされたかは詳しく覚えてない。でも大層腹立たしかったから、何かとてつもなく不快なことをされたのだろう。それ以来イータンとは全くもって折り合いが悪かった。
 最初はメルレーネの手前、なんとか仲良くしようとしていたのだが、そのうち二人は諦めた。メルレーネも最初はやめさせようと奮闘していたが、やがで病気のようなものだと諦めた。軽い口論くらいなら気にもしなくなった。
 ナーオはそのときの恨みつらみを、とうとうと枕元で述べた。
 とても病床の人間に対してすることではないが、気にもかけない。具合が悪くなるならなるで構わなかった。第一黙ってるような男でもない。それで殴りかかってきたりしたら返り討ちにしてやる心積もりだった。
 だがイータンはぴくりとも動かなかった。
 どうしようもなく腹が立って、ナーオは心を落ち着けるために旋律を奏でだした。寝台に倒れこんでいる相手じゃ殴りたくても殴れない。自然と、曲ははじめて作った曲になった。イータンと会った日にメルレーネに披露したのもこの曲だった。この曲が戦闘曲の全ての基本で、ここからアレンジして色んな曲を生み出した。
「………っ…」
 ふと指が止まる。
 ナーオはイータンの顔を注視した。今、なにか言葉を発しなかったか?
「おい、起きたのか?」
「…の、バ…カが……」
 ナーオは即座に立ち上がった。イータンは目を閉じたままだが、今確かに言葉を発した。あの聞きなれた、悪態は聞き間違えようがない。
「て、てめぇそのまま起きてろよ!? 今人呼んでくっからな!」
 ナーオは全速力で駆けようとして、足の怪我をすっかり忘れていた。無様にこけ、いてぇとわめきながら、それでも尚慌ただしく部屋の外に飛び出していった。
 イータンは目を閉じたまま小さく息をつく。
 バカが。
 声にはならないが、何度もそう繰り返す。今まで身動きはとれなかったが、意識はあった。糸に中途半端に絡め取られていて、メルレーネが悲しんでいるのに何もできなかった。ナーオの恨みに突っ込むことも。
 ナーオは忘れている。
 最初に会ったのはあの日じゃない。あの哀れな単細胞は、すっかり忘れ去っている。きっと思い出すことはずっとないのだろう。そして言ったところで否定するだろう。メルレーネの屋敷にいったのはあれが二回目で、最初に紹介されたとき二人は目が赤かった。他愛ない子供の喧嘩だった。二人は自分を間にして、近付くのすら恐れている風だった。確か父の用事でついていったか何かで、そのままイータンは二人の子守を体よく押し付けられてしまったのだった。
 イータンは仕方がないので、恐る恐る二人と手を繋いだ。
 そのままどうしていいか分からず、二人を庭まで誘導して、ただ三人で座り込んでいた。そうして屋敷に帰る時間になってしまったので、どうやって仲直りしたかは知れない。その数ヵ月後に、仲むつまじく庭で演奏する二人を見て胸を撫で下ろしたのだが、あのバカはすっかり忘れていた。
 だがそのバカがさきほど奏でた旋律のおかげで、イータンに絡み付いていた糸は音に乗って解けていった。黒の森での魔法は音に関わったものだったので、呼び水となったのだろう。
 こちらに向かってくる足音を聞きながら、イータンは殴る回数を一回減らしてやろうと決めた。










 イータンが目を覚ましてから、月が二回満ち、そして欠けた。
 あと一度月が満ちれば、団員募集を打ち切って遠征にでるとのことだった。ナーオは月のない夜をメルレーネと共に過ごしていた。
「……で、なにを悩んでんだ?」
 散歩に誘ったのはナーオだったが、なにか話したそうにしていたのはメルレーネのほうだった。呼びかければ彼女は動揺したように目を逸らす。やっと顔を上げたときには、か細い声で「どうすればいいと思う?」と聞かれた。その頬は染まっている。
 そういうことか、とナーオは笑いたくなった。
 昔から自分のことにはとんと疎い彼女だったが、この段によってようやく自覚したらしい。いつか来る日だと想像していたが、ナーオは胸が痛むのを止められなかった。
「それを俺に聞くのか?」
 小さい男だと、自嘲する。祝福してやれよ、と声がしたけれどそれはあまりに小さかった。ナーオはじっとその碧眼を見た。言葉はない。やがて彼女の碧眼が驚くように大きく見開かれた。途端にうろたえだす。
 このタイミングでバカか俺は、とナーオは思ったが後の祭りだ。
 ―――ずっとそばにいてね、ナーオ。
 メルレーネと交わした、幼い日の約束。
 それが足を止めた全ての原因だとは思わない。でも影響を与えたのは疑いようがなかった。他愛ない、けれど強い力を持った約束だった。少なくともナーオにとっては。
 たとえ言った本人が変わってしまっても、彼は変わらず覚えていた。
 ひどいものだと思う部分はある。
 でも彼女にとって彼は誰よりも近しい家族で、親友だった。最初から彼女が見ていたのは、あの冷たい男の横顔で。それを誰よりも知っていたのはナーオだった。
 ナーオは竪琴に手を伸ばした。
 その指先から、彼の普段からは想像もつかないような旋律を生み出す。優しく、どこかもの悲しい。否、もの悲しく聞こえるのは、聞くメルレーネがそう感じているせいかもしれなかった。
 響く歌声は、歩む先に幸あれと歌う。
 それは、別離の歌。
 ナーオが歌い終わったとき、メルレーネは泣いていた。頬を涙で濡らして、ナーオを見つめていた。唇は震えるが、声は少しも生み出されなかった。
 お別れだ。
 彼が実際にそう言ったかは定かではない。でも確かにそう聞こえた。伝わってきた。
 柔らかくぽんと頭を叩かれ、伝わる優しさにまた涙が溢れる。
 会わなくなるわけじゃない。言葉を交わすことも、笑いあい、触れ合うことだってあるだろう。でも、もうそれは違う。形だけなら今までと何も変わらないけれど、決定的に違う。線引きが曖昧だ。でもその線を一旦自覚してしまえば全てが変わるのだ。
 謝るなと、彼は言う。
「幸せになれよ」
 泣かされたら殴ってやるから、とナーオが言った。
 メルレーネは、頷く。
 再び響きだした優しい旋律に涙しながら。無邪気な子ども時代に別れを告げながら。




 夕陽が空を焼く。
 その色彩を背にしながら、メルレーネはイータンに向き合っていた。
「イータン」
「なんだい?」
 歌が聞こえると思った。後押しするような、力強い歌が。
「お前の剣でいさせてくれないか」
「……言う相手を間違えていないか」
「間違っていない」
 メルレーネは首を振った。その口元には笑みがある。脅えの見え隠れする優しい笑顔だった。
「私が愛しているのは、イータン・シャンルンその人だ」








「やっぱり俺とあんたは似てねぇよ」
 結婚式を終えた二人を見送ったあと、ナーオは頬杖をつきながら呟いた。
 メルレーネは大層綺麗で、実に幸せそうだった。イータンの礼服姿には嫌味ったらしい拍手を送っておいた。
 隣にはニナが立っている。本部の庭に居座って調律していたら、どこからともなくやってきた。会話しようとは思わなかったが、知らずナーオの口からはぽろりと言葉がこぼれていた。
「あらそう?」
 とぼけたような口調で、冒険者を見る。
 同じような目で、さきほど式の最後で祝福の歌を歌ったナーオを褒めていた。素晴らしい歌ね、と。その含みのある笑みが忌々しい。
「どうしてそう思うの?」
「……あんたは一つを選び取れるだろ」
 たった一つを選ぶことができる。そのためには他を斬り捨てることができる。
「そうね、選べるわ」
 ニナは笑った。華やかな花のように。
 ナーオも口端をもちあげて応える。言葉はなかった。ニナはそれに満足したように頷くと、身を翻す。きっと何かが違っていれば、ナーオもそうやって生きられたのだろう。あんな風に、まっすぐに。他を顧みることなく。
 旅が好きだった。旅路でまた見たことないもの、不思議なもの、美しいものを見ると心が躍った。生きているという実感を強くもてた。
 だがメルレーネが泣いた。どこにも行くなと、置いていくなと。
 メルレーネが好きだった。物心ついた頃からそばにいて、自分にしか見せない甘えや弱さが愛しかった。前を見据える強さが好きだった。
 だが旅が自分を呼んでいた。どこまでも共にいこうと。
 ナーオには選べなかった。旅にどうしても惹かれながら、メルレーネを忘れることもできなかった。だから逃げ出したかった。全部から。心は旅に向かう足を引きとめ、旅は心の行く先を惑わせた。
 どちらも、選べなかった。
「あの、セルシウス騎士団の方ですか?」
 ふと声をかけられた。声の主を見やれば、大層な本を抱えた女だった。その旅装を見るに、入団希望者だろう。正面から尋ねても誰も出てこなかったから裏に回ったに違いない。
「私、シェリル・シリルと申します。入団させていただきたく、お伺いしました」
 言って、頭を下げる。
「俺に対してそんな風にかしこまることなんてねぇよ」
「騎士団の方ではないんですか?」
「そうだけどな、そういう丁寧なのはなんだかむず痒い」
 案内するよといえば、また彼女は頭を下げた。神官ってやつはバカ丁寧だ。
「竪琴を弾かれるんですね」
「これでも冒険者の端くれでな」
「それでは旅がお好きなんでしょうね」
「……ああ」
 振り返って頷けば、シェリルは静かに笑った。木漏れ日のようだと思った。
「あんたは? あんたは、旅が好きか」
 彼女は頷いた。自然で、あたたかい笑顔だった。





 また、次があるなら。
 もし次なんてものがあるのなら、どちらかを選びたい。旅か、心か。どちらでもいい。
 どちらかと添い遂げたい。どちらかに捧げたい。
 そう、思う。

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