笑顔であるために
03

 お互いに、足踏みをしているのが分かった。
 イータンは傍観の体勢を崩さず、少しずつ離れていった。メルレーネはがむしゃらに強くなろうとしていた。ナーオは以前と変わらぬ立ち位置を維持し続けた。
 その様子を眺めながら、ニナは笑う。
 互いに意識しすぎて身動きがとれないのには多少覚えがある。
 でも中途半端さは身を滅ぼすだけだ。捨て去るか、得るために動くか。どちらかを選ばなければならない。彼らが入団してから一年半、一見何事もなく日々は過ぎていった。つつこうかとも思ったが、彼女は眺めることにした。ニナにとって大事なのは一人だけだったから。
 ついこの前生んだ息子をあやしつつ、ニナは庭に目をやる。
 そこではメルレーネが必死に鍛錬に励んでいた。聖騎士はどうやら一つのことに集中すると周りが見えなくなるらしい。
 そこに一人のサムライが歩み寄る。声をかけ、親しげに語り合う。
「あらら」
 呆れたような声音とは裏腹に、唇は弧を描く。
「どうするの?」
 語りかける。返る言葉などないと知りながら。しばらく退屈しないと笑いながら。





「おいナーオ、話がある」
 遠征中の空の下、そんな風にイータンは声をかけた。ここしばらくは目線すら合わせない状態が続いていたのだが、ナーオは気にした様子もなく頷いた。
「ああ、俺もちょうどお前に言いたいことがあった」
 夜営のための採取もかねて、二人は黒の森へと足を踏み入れる。てきとーなところで採取を切り上げると、イータンは剣呑とした空気を隠そうともせずに話を切り出した。
「どういうつもりなんだ?」
「は? なんだよ急に」
 木にもたれかかり、腕を組んだ魔術師をナーオは睨みつけた。
「メルレーネのことだ。一体なにをやってる」
「それを言うならてめぇだろ。何逃げてやがる」
「逃げてなどいない」
「立派に逃げてんだろうが」
「お前こそ何をやっている? メルレーネに悪い虫がついたらどうする」
 悪い虫、とは最近妙にメルレーネの周りをちょろちょろしてるサムライのことだった。悪い奴ではないが、二人には虫にしか思えない。
「その言葉そっくり返すぜ」
 いくらかこめかみに筋が浮く。
 なんのために入団したんだ役立たず、と罵れば、無能と言葉が返る。そんな子供じみた応酬を繰り返して、二人はつかみかからん勢いだ。お前がふがいないからだとイータンに言われ、ナーオは血管が切れる時の感覚を知る。
「……てめぇ、全然分かってねぇな。仕舞いにゃしばくぞ」
「ほう、やれるものならやってみろ」
 挑発的な言動に堪忍袋の緒が切れたナーオが胸倉をつかみあげた。手に力がこもる。至近距離で睨みつける。あたかも視線で殺そうとするかのように。
「メルレーネはな」
 言いかけた言葉が、途切れる。
 ひゅ、と空気を切る音がして、近くの木に矢が突き刺さった。
 時がとまったのは一瞬。
「盗賊団か!」
「くそ、こんな時に!」
 二人はすぐさましげみに飛び込んだ。敵が何人いるかはわからない。ばらばらに逃げる選択肢もあったが、二人は示し合わせることもなく森を駆け抜ける。
「やりすごすぞ」
「俺に指図すんな」
「いちいち噛み付くな、子供か」
「うっせぇ陰険」
 小声ながらも、罵りあうことは忘れない。
 そのまませめて夜営地の近くまでと駆けた足は、止まらざるをえなかった。相手が悪い、と同時に思う。敵を従えるのは黒い装束の誘惑者。団長が時には逃げをうつ相手だった。その姿が木々の合間に見え隠れして、追い込まれたことを知る。
 こちらは獲物だ。まんまと袋の鼠と化す。
 その余裕があるからなのか、じりじりと間合いをつめてくる。正確な位置は把握されてないにしろ、時間が経てば否応なく血を見ることになる。
「やばいな……」
 汗が、つと顎を伝う。殺気が肌を刺す。
「おい、私が打ってでる」
 それは前線に立つという意味合いからは外れていた。外れていると、分かってしまう。
 ナーオは声を荒げた。
「はぁ? てめぇ何寝言言ってやがる」
「それしかあるまい。ここで二人とも殺されるか?」
「待て、だったら俺が」
「ほう、私をかばうとでも?」
「誰が!」
「ならいいだろう、さっさと準備しろ。どっちみちこのままではもたん。二人とも死ぬより建設的だろう」
 言うなり、杖の準備をする。地に描こうとしている魔方陣は攻撃のためのものだ。守るためでも、力を添えるためでもない。
 一体どう殺してくれようかとナーオは思った。
「戦うなら俺だ。お前が逃げろ」
「バカを言うな」
「俺だって置いて逃げたいっての」
「ならそうすればいい」
 アホか、とナーオは言った。
「メルレーネが泣く」
「……それを言ったらお前が死んだほうが悲しむ」
 イータンはしばし動きをとめたあと、そう言った。本気でそう思っている口ぶりだった。もういっそあきれ返るしかなかった。頭はいいくせに、肝心なことが見えてない。一体メルレーネの何を見てきたんだと言いたくなる。
 全然分かってねぇんだな。
 どこか哀れみをこめて、どこか悲しさをにじませて。冒険者は呟いた。魔術師は聞こえないふりをした。昔から、見て見ぬふりをするのが得意な男だった。
 俺のことも見て見ぬふりすればいいだろ?
 そう思うが、実際この男はそうしない。肝心なところで視線を和らげる。本人すら気付いているかいないだか分からないそこに、だからこそ余計に腹が立つ。どちらがいなくなってもメルレーネは泣くだろう。それぞれ心の居場所が違う。でもそばにいるのは自分であっては駄目なのだ。
 そうこうするうちにも、敵はゆるやかに迫ってくる。
 イータンの魔方陣は完成へと近付いていく。
 ナーオは決断した。死と隣り合わせの現状で、できることなんて数少ない。他にどうしていいかなど思いつかない。目の前の魔術師は気付かない。
 じゃあな。
 そう口の中だけで呟いて、ナーオは腕を振り下ろした。







「……あ、のバカ…」
 声がみっともなくしわがれていた。イータンは歯を食いしばった。貴族として洗練されていなければならないというのに、このみっともない事態はなんだ。後頭部を殴られた影響で、頭がぐらぐらする。
 イータンは顔を持ち上げるが、糸の切れたような情けない音だけが聞こえるだけ何も見えない。茂みに隠れてしまっていた。ナーオがどうなっているか、分からない。その旋律でかろうじて生きているということしか。
 後頭部の鈍い痛みが徐々に和らいでくる。だが完全に引くまではとても待っていられない。そうこうしている間に旋律は途切れてしまうだろう。
 第一、殴れなくなる。
 遠慮なしに殴ってくれたのだ。第一敵の目の前で殴って気絶させるとはどういう了見だ。頭が悪いにもほどがある。一度殴らないと気がすまなかった。
 イータンは土を握り締める手に力をこめた。
 このイータン・シャンルンに土をつけさせたこと、後悔させてやる。
 どうにか半身を起こせば、随分遠い木々の間に黒装束の姿が見えた。
 姿勢を低くしたまま、指先だけで小さな魔方陣を描く。正確な場所は特定できないが、攻撃をしなければいい話だ。使うのは己の魔力だけではなく、この黒の森そのものの魔力を借りる。まるで生きているかのように、木々がざわめきはじめた。葉がこすれあう音がする。
 森全体が音楽を奏でだした。
 でもイータンは頭を振った。違う、そうじゃない。森の歌ではなく、ナーオの曲に合わせなければ。
 描いた魔法陣の外側に、更なる魔方陣を構築する。
 大地に、風に、木々に、そして精霊に。今にも途切れそうな旋律を追えと伝える。あいつの音を、森は覚えているはずだと思った。幾度もこの森を行き来して、そのたびに、いやいつだって奏でていた音だ。メルレーネのために。
 森が震えた。そして、森全体で歌いはじめる。
 敵は惑ったようだった。竪琴からの音とは全く異質でありながら、その旋律に微々たる違いもない。いつしかナーオ自身の音もかき消されていた。気絶してどのくらい時間が経ったのかは知れないが、この森の異変に騎士団の面々も気付くだろう。だが一刻も早くナーオを見つけねばならなかった。イータンは新たな魔法陣を地面に描く。
 しぼりだされる魔力に、急に肺から空気を奪われたかのような錯覚を覚える。
 同時に三つも術を行使するなど、今まで試そうと思ったこともない。そうするには魔力がたりないと自覚していたからだ。けれどやらねばならなかった。
 なんだってこんなに必死になってるんだ、あんな男のために。
 そうは思うが、仕方ない。メルレーネの泣き顔なんてとてもじゃないが見たくないんだから。ナーオも同じだろう。だからこそ嫌いだと公言してはばからない相手の代わりに打って出る。お互いに相手と仲良くしようとか理解しようとかは全く思わない。けれどその一点では相手を認めていた。
 同じものを大事だと思っている点では。
 だからこそ今まで、絆とも呼べないようなつたない二人の仲がかろうじて続いてきた。メルレーネを中心として。
 追いつかない魔力の供給に吐き気と眩暈がおこる。それでも尚、イータンは探索の手を緩めなかった。大地の下で触れ合う木々の根を媒介として、ナーオを探す。不本意だが、ナーオの魔力独特のクセみたいなものは把握済みだった。
 目を閉じて集中すると、糸のようなものがみえる。それは魔力の糸のようなものだ。
 太さもそれぞれ違い、見ているだけだというのにその質感の違いまで分かってしまう。しかし森全体の魔力が眩しすぎて、大体のことしか分からない。右前方に禍々しい糸が渦巻いている。それが誘惑者だろう。そこから糸が伸びていて、人の形をした糸のかたまりに絡まっている。これが盗賊団の面々。でも見つけたいのはそれじゃない。更に注意深く気配を探るが、森全体が歌っている影響で魔力の流れを探る工程は著しく阻害される。
 ふと視界の端で、動く糸のかたまりを見る。
 それがナーオだ。
 躍動あふれる、まるで歌うような糸のかたまりだ。それが今は小さく縮こまり、ゆっくりと地面をはいずってきている。こちらに向かってくるそれに、舌打ちする。こちらに来る余力があれば逃げればいいものを。
 イータンは術を解いた。
 反動で、目がちかちかする。目を開けていられなくて、その場にうずくまる。動かなければと思うが、身体は重い。
 魔力のほとんどを放出したから、酸欠と出血多量を足したような症状に陥る。実際になったことはないが、そんなものだろうと呑気に考える。でもそれはある種の現実逃避のようなもので、実際は指一本動かすことすら大儀だった。
 ―――まずい。
 もう術は使っていないはずなのに、眼裏に糸が見える。
 それは魔力に深く触れすぎた証拠だった。魔法とは便利なものだが、あまり長く触れているとひきずりこまれてしまう。もし完全にとらわれてしまったら、身動きも話すことも考えることすらもできないものとなる。ウェローでは禁忌をおかした者たちが多くそのような姿となって存在しているという。見れば、まだ森全体の魔力と己の魔力が深く絡みついていた。これをほどかなければ、廃人となるだろう。
 イータンはもがいた。絡みつく糸から逃れようと、虚しい抵抗を繰り返す。
 だが糸は執拗だった。
 もがこうと手を動かせば、さらにそこに絡みつく。そこに意志はない。ただ流れるように魔力と魔力が引き寄せられているだけだ。森の力を借りるときに森に同調していたから、尚更引きずられるのだろう。代償かもしれなかった。あるいは罰か。自分の力量よりも遙かに大きいものを操ろうとした、愚かな人間に対しての。
 イータン。
 呼ばれた気がして、顔を持ち上げると、顔とおぼしきものがあった。というのも、魔力の糸がいっそう眩しく感じられ、ただの光としか捉えられなかったからだ。
 早く逃げろ。そう口に出そうとしたが、実際に音になったかは不明だった。
 イータンはそのまま意識を失った。

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