|
「ユーゲン先輩、聞いてますかぁ」
僕は厄介な酔い方をしていた。
ろれつも怪しくなってきてまっすぐに立っていられない。いい加減潰れてもいいくらい飲んでいる。けれど。付き合わされる先輩はたまったものじゃないだろうと、そう考える頭の中の一点だけが醒めている。そこだけがどうしても酔わない。酔ってくれない。
「はいはい」
「めんどくさがってるでしょぉ」
目の前の先輩魔術師は僕の手からジョッキを取り上げてしまった。
「ティーク、飲みすぎだよ」
「もう、ちゃんと付き合ってくださいよぅ」
じっと見つめると、先輩はいくらかひるんだようだった。絡んで悪いなと思うことは思うのだけど、彼を解放するという判断は都合よく酒にまみれていた。それこれというのも、僕は酔い方以上に厄介な問題を抱えていて、酔わなきゃやってられない状況だったからだ。
宴から始まってからこっち、結構な時間付き合わされて先輩はうんざりしているらしい。でも酔いを理由にして解放してなるものかと思っていると、それが分かったのが否か、
「うーん…あっ、マナ!」
活路を見出したかのように、ユーゲン先輩は通りがかった魔女を呼び止めた。彼女の手にはジョッキが二つ。思わず背筋が伸びた。
「なぁに、ユーゲン」
「そのお酒、クリスに運ぶんだろう? 僕が行くよ」
「あっ先輩!」
魔術師はさっと華奢な手からジョッキをさらってしまうと、酒豪家系の聖騎士のところへ行ってしまった。先輩は基本女の人には優しい。僕には適当にあしらうくせに。
でもそんなんどうでもいいから、とにかく戻ってきて欲しかった。
いや、やっぱ戻ってこなくていい気もしてる。
いやいや、やっぱり戻ってきてください。僕を困らせてる原因と二人きりにするなんて、やはりあの人はとてつもないめんどくさがりだ!
「ティーク、あんたまたユーゲン困らせてたの?」
「困らせてないよ。先輩ろくに話聞いちゃくれないんだから」
「面倒だったら適当に相槌うつような男が逃げるんだから、それだけ困ってたってことじゃない」
「……マナ、もう少し労ってよ」
「しょうがないわねぇ」
言葉そのままの表情で魔女は僕の目の前に腰掛けた。彼女は面倒見がいい。僕をまるで弟のように扱う。
僕はそれが悔しくてならなかった。
出会いは五年前。
「私はマナルルタ・ケイヴ。よろしくお願いね」
電が直撃したかと思った。
今までの人生が急に色のないものになってしまった気がした。彼女が笑えば、周囲が華やいで見えた。つまるところ、一目ぼれした。
「気軽にマナって呼んでちょうだい。みんなそう呼んでるわ」
そう言って微笑んだ彼女の可愛らしいことといったらなかった。弓引くことしかしてこなかった15の自分は、入団して春を迎える頃にようやっと彼女を愛称で呼べるようになった。忘れもしない。入団してすぐ遠征に出て、バルサリオンの中継地に向かう途中のことだった。
―――盗賊団だ! 構えろ!
団長が叫んだ。それが初戦だった自分は、初代から騎士団に名を残してきたバリスの名に恥じぬようにと鍛えてきたけれど、やはり動揺した。倒すべき敵を見つけられず、物心ついたときから手にしていた弓がどこか浮くようだった。そんな自分に、マナは言ったのだ。
「戦うのよ。そのために来たんでしょう」
そのまま彼女は僕の左手に立って若返りだという巫女の補助にあたった。
彼女の声音は覚悟した者のそれだった。およそ可愛らしい外見とは結びつかぬ淡々とした物言いに、僕は驚いた。驚いて、口を引き結んだ。
僕は倒すべき敵を見据えた。仲間がいる。その先に黒い影がある。
若返りの力というのは絶大だった。巫女は一人で敵方の先陣を蹴散らす。マナの魔法も素晴らしく研ぎ澄まされていたけれど、それがなくても十分だろうと察せられた。それほど圧倒的だった。盗み見た巫女の顔に表情はなく、それに背筋があわ立ったのを覚えている。
そうする間に団長が敵のニンジャを倒した。その先に盗賊団を率いている影が見えた。
僕は弓を引き絞った。
矢は敵の首元を射抜いた。残された盗賊が逃げていく。足元にはいくつかの物言わぬ躯がある。戦いは終わった。けれど僕の手は強張ったまま、弓に張り付いていた。誘惑者は黒い靄と化し、倒れ伏した大地に焼け焦げたようなあとを残した。僕はそれを一部始終見ていた。視線がはがせなかった。
するとマナが僕のほうを覗き込んで、笑った。
「やるじゃない」
その瞬間に呪縛がとけたような気分になって、僕はようよう弓を持つ手を緩めた。
そうする間に彼女は踵を返していた。
「マナ」
呼び止めていた。
恥ずかしさや戸惑いはあとからやってきた。ただ彼女の背中が耐えられなくて、声を聞かせて欲しくて、気づけば名を呼んでいた自分に驚きだった。
「なに?」
「…ありがとう」
「私は何もしてないわよ」
言いながらほがらかに笑って、彼女は今度こそ僕の前から立ち去った。
その細い背中が脳裏から離れなかった。
あれから五年。
その間自分は彼女に思いを告げることもできぬまま、ただ隣にいる。
自分でも情けないものだと思いながら、けれども何もしてこなかったわけじゃない。夜に散歩に誘ったり、遠まわしに手作り料理をせがんでみもした。だがその全てに、彼女は特別なものをくれなかった。まるで家族、とりわけ世話を焼くべき弟にするように対応した。
それがどれだけ自分の胸の奥を焦げ付かせたか彼女は知らない。
きっとそんな風に言ってみても、彼女は弟扱いして悪かったと謝るだけだろう。僕の言いたいことは伝わらないに違いない。一人の男として、彼女に恋する男として見て欲しいなどとは。
彼女はとてつもなく鈍い。
そこが愛おしくもあり、悲しくもある。いい加減に気付いて欲しいのだ。視線の意味に。
「また例の悩みかい?」
また溜め息をついていたらしい。ユーゲン先輩がめざとく聞いてくる。いつも途中で逃げるくせに、こういう風によく気がつく人だった。ナイフの手入れに従事していた僕の手は止まっていた。最近ずっとこうだ。
見れば、先輩魔術師は新たに購入したらしき本を抱えている。いつものようにこの庭の片隅で読むつもりなのだろう。ならば自分は邪魔だろうと、腰をあげる。
「さっさと告白したら」
この人は相談に乗ってくれるのだが、いつもどことなく投げやりに響く。今だって本の表紙の汚れを払いながら聞いてきた。いつも眠そうな(先輩アーチャーのクロイツ曰く「うつろな」)目はちらと僕を見てすぐ文字の羅列に舞い戻る。表面上はそういう態度なだけで、ちゃんと心配してくれているのは分かっているのだが。けどさすがに愛想もつかされるかな、と思いなおす。もう五年も同じことを繰り返してるんだから。
僕は黙って首を振った。
つまるところ、僕は怖いのだ。いつか彼女が僕を男として見てくれるのではないかと期待して、逃げている。想いを告げて、けれど「弟にしか思えない」とでも言われたら立ち直れない。それはつまり、僕は愛した女に同じ場所に立つ者だと認めてもらってないということだ。僕にはそう思える。
それが怖い。
先輩は何も言わなかった。僕は目を逸らしていたから、彼がどんな顔をしていたかまでは知らない。
そのままナイフをホルダーにしまうと、僕はその場を立ち去った。
声が追いかけてくることはなかった。
ユーゲン先輩から逃げ出してきた僕は、気の向くままに歩いた。
なんとなく人ごみにまぎれる気分ではなかったから、できるだけ静かなところを探した。最初は本部に隣接する森の中に行こうかとも思ったのだけど、クロイツ先輩の声がしたので引き返してきた。別に苦手なわけではないが、彼は一人ではなかったようだから。邪魔をすると後が怖い。
そのまま人気のない方を選んで、とにかく歩いた。
彼女には誰か想う人がいるのだろうか。そんなことを考える。
騎士団内にはそういう人はいないようだけど。成人と同時に結婚する人もいることを考えれば、彼女はもう結婚してもおかしくない年齢だ。あのユーゲン先輩だって、若い頃は精霊をおろすほどの相手がいたらしいし。
一人で過ごすには、騎士団はいささか淋しい。「誰か」が欲しくなってしまう。
もしそんな誰かがいないのなら、その誰かに僕がなりたいのに。
そうしているといつの間にか、墓地の近くにたどりついてしまったようだ。
僕はどうにも墓場というやつが苦手で、あの静寂さにはいつまでも慣れない。僕の家系は、先祖の初代バリスが樹の苗と共に骨を埋めるよう遺言してから代々それに倣ってきたから、そのせいかもしれない。もちろん彼の墓石は騎士団墓地にあるけど、やっぱりその樹こそが先祖の眠る場所、のような気がしてる。そんなわけで、僕は墓参りってやつすらろくにしたことがない。
僕は踵を返した。
そのまま本部に帰ってしまうつもりだったのに、僕の足は止まった。目の端に見慣れた姿をとらえたからだ。どこにいたって僕はすぐ彼女を見つけられる自信があった。
彼女はどうやら墓地のさらに奥の方、騎士団墓地に足を向けているらしかった。普段の彼女よりも幾分遅い歩調で、歩いている。どこへ行くの。いつもなら声をかけただろうが、墓地という場所はそれを阻むような空気があった。分別のある大人ってやつならそこで見ない振りをして回れ右なのだろうけど、残念ながら僕は違った。そのまま彼女のあとをつけた。
単純に好奇心ってやつだった。
どことなく不謹慎な気はしていたし、いくばくかの罪悪感なんてものもあったりしたけど、僕は彼女をそっと遠くから窺った。彼女はとある小さな墓で足を止めた。比較的新しいもののようだった。彼女はそのまま立ち尽くす。僕は声をかけるべきか迷った。けれどそんな考えは無駄に終わった。
マナは泣いていた。
顔を覆うでもなく、おえつを漏らすでもなく。ひたと物言わぬ墓を見つめ、静かに泣いていた。ただ流れるに任せ、彼女の頬を撫でるのは風だけ。それは悼む涙とも自分を哀れむ涙とも思えなかった。
誰の墓だろう。そう思った。
彼女の家族のものにしてはいささか様子が違うようだった。一度気にし出したらどうにも止められなくなって、彼女がそっと立ち去ったら尚更むくむくとそれは頭をもたげた。
確かめてみようか。
僕はその誘惑に勝てなかった。何の気配もさせない墓場がそれを後押しするようだった。
結局、愚かな僕は墓に歩み寄った。刻まれた名の上に白い花がひっそりとある。まるで責められたようでぎくりとした。
ヴェルギリウス・コリウス。
没年は自分が入団する6年前。そこで面識のない魔騎士は人生を終えた。17歳はいくらなんでも早すぎる。戦いの中で命を落としたのだ。
あれは人を想う涙だ―――
そう思った。そしてきっとそれは間違ってない気がした。
風が舞った。
鎮座していた白い花が、墓の前から地面へと落ちてしまった。それを、憎々しげに見つめる。でも、それ以上何もできない。これは彼女の心だから。
僕は、その白い花をそっと元に戻した。
「あんたのためじゃないからな」
墓の主に向けてそう言うのは忘れずに。
|