Dum Spiro, spero
01

 道端に人が倒れているなんて、珍しくもない。
 時はアクラル西暦754年。
 アルセナ王国が大陸の覇権を求めて、あちこちに戦争を仕掛けている時代。魔物も多いが、盗賊も戦争も日常茶飯事。そんなご時勢であるから、町外れの道端に男が倒れていたところで、ツクヨ・エンライは今さら驚きはしなかった。背中に深い傷を負っている。これでは生きてはいないだろう。やはり、珍しくはない。
 けれど珍しくはないからと言って、捨てておくのも忍びない。もう少しで町に着くところだったのについてないね、と呟きながらツクヨはしゃがみこむ。ここは戦場じゃない。しかるべき弔いはするべきだろう。
 男の肩に左手を伸ばす。彼女のその指先から肩を、びっしりと刺青が覆っている。その美しい意匠を施した手が男に触れると、次の瞬間、ツクヨの手首が強い力で捉えられた。
「―!?」
 とっさのことに、ツクヨは反射的にその不躾な手を捻り上げる。それは他でもない、死んだと思い込んでいた男のものだった。
 男は顔を少し動かしていて、立ち上がったツクヨを見上げていた。それは睨みつけているといってもいい眼光だった。そして何より、その瞳は血のような紅だった。薄茶色の髪の間から覗くその色彩に、ツクヨは息を忘れる。綺麗な色だと思った。
 やがて男は完全に力尽き、気を失った。誰かに触れられたので反射的に行動したのだろう。光が瞼の奥にすっかり隠れてしまうと、ツクヨはハッと肩を揺らした。
「……この傷で生きてるとはねぇ」
 素直に感心するしかない。けれどこのまま放っておけば流石に死ぬだろう。ツクヨはもう一度男の傍にしゃがみこむと、その場でできるだけの応急処置を施す。じっくりと傷を検分すると、出血量の割には傷は比較的浅いように感じられた。それにしたってひどい傷であることには変わりはないのだが。
 ある程度の処置が終わると、男を背に担ぐ。身長は同じくらいだから自然と足を引きずる形になる。町に入ってしまえば、誰かしら手を貸してくれるだろう。見かけによらず重量のある男を引きずって町に辿り着き、その辺にいた若者に手伝わせ、負傷した男を彼女の滞在場所へと連れて行く。
 彼女は傭兵だった。現在滞在している場所はこの町の警備と引き換えに得ているものだ。だからこの男を泊まらせてやる義理はないのだが、あそこには腕のいい医師も魔術師もいる。
「随分変な拾い物をしてきたね」
 ツクヨが抱えてきた『荷物』を見て、偏屈な魔術師カロンは眉を吊り上げた。研究を邪魔されたのだから機嫌は当然よくない。
「見捨てるわけにもいかないだろ?」
「滅多にない気まぐれを、何もこの日に起こさなくたっていいだろうに」
「どんな日だってあんたは文句言うだろ。応急処置はしといたからさ、治してあげてよ」
「僕はタダ働きはしない主義だよ」
「そいつを助けて、そいつに払わせればいいさ」
「……全く、いい性格してるよ」
「褒め言葉だね」
 軽口の応酬を重ねながらも、魔術師の手はちゃっかりと動いている。
「一体なんだって、こんな気まぐれを?」
「別に。てっきり死んでるもンだと思ったらしぶとく生きてて、助けを請うでもなく睨み付けてきたからさ」
 意味なんてないよ、とツクヨは肩を竦める。
「その意味のない気まぐれに付き合わされる身にもなって欲しいね」
「いいじゃないか。あんたの気まぐれにだって付き合ってやってるだろ? 消えた伝説の魔術師を追っかけるだなンて、あんたも酔狂だよねぇ」
「魔術師なんて輩は、おしなべて酔狂さ」
 カロンはそう嘯くと、終わったよ、と手を止める。相変わらず手際がいい。そうツクヨが褒めてやると、彼はめんどくさそうに眉をしかめた。
「大した傷でもないんだ。このくらい当たり前さ」
「は?」
「さて、もういいだろ? 僕は研究に戻るよ」
 返事を待たずに魔術師はあっという間に部屋を出ていってしまう。部屋に残されたのは困惑するツクヨと、昏々と眠る男だけ。
 その胸は規則正しく上下している。丁寧に巻かれた真新しい包帯は血で汚れてはいない。決して楽観できるような傷ではなかったはずなのに、目の前の男に死の兆候など少しもない。カロンが嘘を言うはずも必要もない。ならばツクヨの思い違いだったのか。
「……まぁいっか」
 気まぐれに偶然が重なっただけ。
 それだけのことだ。


  *


 ツクヨの左半身は刺青に覆われている。自分ひとりで出来ないところは他人に手伝ってもらったが、それ以外はすべて彼女自身の手によるものだった。指先から肩、胸の下から膝下まで。一つに連なったような意匠が、彼女の身体を覆っている。
 色鮮やかな金糸の髪と、全身の刺青。
 それらは彼女の何よりの特徴だった。珍しいニンジャという職も手伝ってか、傭兵の間ではそこそこ顔が知られている。その分情報も多く入ってくるのだが、ツクヨは色白で紅の瞳を持つ男の話は聞いたことはなかった。持ち物からして同業者だろうとまでは検討がついたものの、他に何の情報もないので、流れの傭兵だろうという結論に達する。
 当の男はといえば、丸一日眠り続けている。
 ツクヨが時折傷口を確かめると、その度に傷は治っていっているようだった。カロンを呼ぶまでもない。この治癒速度からしたら、きっと七日もすれば元通りだ。常人より治りの早い人間はいるにはいるが、この速度は常軌を逸している。
 寝台の上で眠り続ける男を、ツクヨはぼんやりと見つめる。この日は何の仕事も舞い込んでこなかったので、彼女は退屈していた。武器の手入れはもうすっかり済んでしまっているし、怪我人を放って酒場に行く気分でもない。
 手慰みにと、ツクヨは羽ペンを手にとる。
 刺青の図案を、思いつくままに描いていく。彼女は傭兵ではあったが、同時に腕のいい掘り師でもあった。傭兵仲間に乞われて刺青を入れてやったことは何回もある。図案は様々だ。鳥、花、獣、月や太陽。思いついた端から描きつけているから、かなりの量になる。拠点を移す際にあっさりと手放してしまうのだが、暇さえあればそうしているので、すぐに部屋が紙で埋もれてしまう。
 すると、先ほどまで安定していた男の寝息が乱れた。
 寝台の方へと目を向ければ、男はうなされているようだった。痛みも熱も、落ち着いたはずだった。ならばきっと、嫌な夢でも見ているのだろう。最初は放っておこうと思ったが、予想以上に長くうなされていたので、仕方なくツクヨは男を揺り起こす。
「ちょっと。ちょっとあんた」
「……ん、か……」
「うるさいンだけど。いい加減起きなよ」
 随分な言い草だが、ツクヨは気持ち優しく身体をゆすってやる。けれど次第にそれも強くなってきて、しまいには一発ひっぱたいてやろうかと半ば本気で考えたところで、男はハッと目を見開いた。
「あ、起きた」
 紅の瞳がしばし瞬きを繰り返したあと、男の口から言葉が零れ落ちる。
「―俺は、死んだのか」
「……残念ながら、まだ楽にはなれてないね」
「ここ、は」
「北アクラルの辺鄙な町さ。ついでにここはアタシの部屋で、あんたの寝床を提供してンのもアタシ」
 肩を竦めつつツクヨがそう締めくくると、男は少しだけ目を閉じる。また寝るのかと、そう声をかけようとしたところで、瞼の奥から現れた鋭い光が彼女を刺す。
 あの眼だ。強い感情を秘めた眼。
「……なにがおかしい」
 問われて、初めて自分が笑っていることに気付く。いけない癖だ。慌てて顔を引き締めて、次いで別の笑顔を浮かべる。
「無事に生還できたことを喜んでるだけさ」
 男は疑わしそうな目線を向けてきたが、やがて無視することにしたらしい。あるいは、もう少し発展的な会話に早く移りたかったのかもしれない。
「あんたが助けてくれたのか」
「まぁそういうことになるか。治療したのは別の奴だけどね。そいつはタダ働きが嫌いだからさ、あんた、こき使われるよ」
 男は答えない。
「あんた、傭兵だろ? この町に滞在する傭兵は仕事の代わりにこの宿を提供してもらってる。だからあんたは、少なくとも一日分の宿代と薬代くらいは稼がなくっちゃ。傭兵の常識だ。文句はないだろ」
「異論はない」
「結構」
 ツクヨは満足そうに頷いた。彼女は物分りのいい人間は好きだった。
「まぁとりあえず、あと一日くらいは寝てたほうがいいね。あんたは治りが速いみたいだけどさ」
 ツクヨとしては別に揶揄する目的で言葉を紡いだわけではないが、何が気に障ったのか、男はじろりと睨み付けてきた。やけに噛みつく男だ。けれど、その眼光の鋭さだけで、臆病者と手練れはあっさり引き下がるだろう。そして無謀者と愚か者は噛みつき返そうとして、手ひどく痛めつけられるに違いない。幸い、彼女はそういったことに頓着しない性質だった。
「あんたの荷物は枕元にまとめて置いてある。何か物がなくなっててもアタシを責めンなよ。ああそうだ、あとで何か食べるもん持ってきてやるよ」
「何故助けた」
 随分唐突な問いかけだったが、別段驚きはしない。こういう手合いは何かにつけ噛み付くものだ。
「ん? 気まぐれ」
「なんだそれは」
 納得がいかないらしい。理由がないことが、そんなにも恐怖や警戒心を焚きつけるものなんだろうか。ツクヨにはそれが不思議でならない。
「なんでどいつもこいつもそんなこと気にすンのさ。アタシがそうしたいからしたってだけの話だよ」
 ツクヨはしごく当たり前のこととして、彼女の思いを言葉にした。その率直さを信じることにしたのか、男はひとつ息をついて、身体の力を抜く。
「……借りができた」
 必ず返す、と男は続ける。
 けれどツクヨは眉を吊り上げると、淡々と言い放つ。
「借りなんて安い言葉を使うンじゃないよ」
 アタシは嫌いだね。そんな風に続けると、男は噛みつき損ねたような顔をした。事実、そうだろう。
 ああめんどくさい。
 何をそんなに当り散らしているんだか。
「まぁいいさ。アタシはツクヨ・エンライってんだ」
「……ブラッド・ボアル」
「じゃあブラッド、しばらくよろしく」
 ひらひらと手を振って、あっさりと部屋を出る。随分と奇妙なものを見るような眼で見られていたな、とツクヨはひとりごちる。
 けれど別段、珍しくもない。

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