|
「すごいな……」
ミナセは思わず感嘆の溜め息をこぼした。
視線の先にはつい先ほど事切れた魔物と、新人魔術師。モウリィマウスはフェルミナの森の奥深くでその四肢を投げ出していた。これでフェルミナが魔物に脅かされることはない。騎士団としては新人養成のための格好の練習台だった。
その新人はといえば、初遠征、初戦闘にして、少しも物怖じしている様子はなかった。ユーゲンは淡々と魔方陣を構築し、団長の補助にあたった。相手は下位の魔物とはいえ、実に堂々としていた。
遠くで見守っていたミナセは、ただ感嘆する。魔法というものにはとんと疎いが、彼のそれが他と一線を画しているのは疑いようがなかった。
「すごいだろう?」
目を瞠るばかりのサムライに声をかけたのは、天賦の才を見せ付けた男の兄。
「自慢の弟なんだ。ユーゲンにできないことなんてないんだよ」
実に誇らしげに、彼は語る。それはまぎれもない本心なのだとその目が語っていた。三年前に入団した彼だって十分に優れた魔術師だが、やはりその差は歴然だった。
妬んでもよさそうなものを。
ミナセは自然と笑顔になった。その深緑の瞳が我が事のように輝くのを見て、実にさっぱりした気性の男だと改めて思う。
「ユーゲン!」
そのにじみでる陽気さそのままに、彼は弟に手を振った。戦闘を終えた面々が街へ続く道へとやってくる。
呼ばれた魔術師はぼんやりと兄を見やり、振られた手に応えることもなく近寄ってきた。その背後では彼がさきほど行使した魔法が揺らめいている。
それは白炎の魔法。
原理は知らないが、死したものを灰へと還す魔法だった。決して生者を傷つけることのない炎が、倒れ伏した魔物を舐めつくす。朝には灰になっているだろう。
「実に素晴らしい初陣であった」
ミナセが声をかけると、ユーゲンは目をぱちくりさせた。レーゼンの誉め言葉には眉一つ動かさなかったというのに。他の団員から声をかけられたときも、少し戸惑った様子だった。
「別に……すべきことをしただけですよ」
どうにも歯切れが悪い。
レーゼンがとうとうとその素晴らしさを言いきかせようと口を開いたのと同時に、ユーゲンはいきなりあらぬ方を見やった。
「いかがした?」
まさか魔物かとミナセは身構える。
けれどユーゲンは慣れた様子で、ちょっと呼ばれてるんで、とあっさり立ち去ってしまった。
残された方はぽかんと口を開けるばかり。
「声などしたか?」
「いや、あれは精霊だよ」
彼の兄はまた瞳を輝かせて、うきうきと答える。呆気にとられるミナセを見て、嬉しくてたまらないといった様子だ。
「精霊と話せるのか?」
レーゼンはふふんと得意気に笑う。
「厳密に声を聞いてるわけではないみたいだけどね、小さい頃からああやって遊んでるんだ。僕には魔法を操ってるようにしか見えないけど」
「巫女や聖職者が精霊と話すというならまだ分かるのだが……」
脳裏に思い描いたのは、騎士団に属する巫女の姿。彼女は幼い頃から見えざるものと言葉を交し、戯れていたという。彼女の神がかった言動を見るにつけ、その神秘性に敬意を払ったものだが。ユーゲンと精霊とはいまいち結び付かなかった。
「僕らは呪文や魔法陣を通じて精霊の力を借りてるわけだけど、ユーゲンは少しあちらに近いみたいだね。精霊の発する力の波動を感知して喜怒哀楽を察してるんだと思うんだけど」
弟はなかなか教えてくれなくてね、とレーゼンは苦笑する。悔しそうなのに、ひどく嬉しそうで。
レーゼンはかたまるミナセにあれこれ魔力の原理や呪文の起源となった精霊言語について説明してくれたが、半分も理解できなかった。
ただユーゲンは凄いのだとそればかりが伝わってくる。誇りに思っているのだと。
期待ばかりかけられて大変そうだと、そう思った。
その夜はシャンルン家に泊まることになった。ユーゲンたちは分家ということだったが、ミナセには十分大きく見える。王都にある本家は更にでかいらしい。想像もつかなかった。
団員全員がゆったりと足を伸ばして眠れ、湯が使えて食事の心配もいらないなど夢のようだ。
遠征中では考えられないほど豪勢な夕食のあと、本部の部屋割りを基本として、団員たちは部屋に散った。ミナセはユーゲンと相室となっていたが、彼は彼で自室があるので部屋を独り占めだ。調度品一つとっても高価で、生まれた時から質素な暮らしをしてきたミナセには驚きの連続だった。だが滅多にない機会なので楽しもうと、ふかふかの寝台に顔をうずめてみたりする。こんな立派な暮らしをしてたんじゃ遠征は大変そうだと思うが、ユーゲンもレーゼンもそんな素振りは見せない。むしろ兄の方はひどく楽しそうで、貴族は色々としがらみがあるんだなと察せられる。
豪華だが、それだけに窮屈そうだ。平民でよかったと心底思った。
だが悲しいかな、立派すぎて肌に馴染まないのか、眠気が一向にやってこない。しばらく寝返りを打ったりしてみたが、諦めて窓に寄る。せっかくだから星でも見ようと。
いちいち頑丈かつ細かい装飾の窓をあけると、星空が広がった。まだ肌寒い季節であるが、空気が澄んでいるので気持ちがいい。息を深く吸い込むと体の隅々まで洗浄されるようだ。
窓枠に肘をつきぼんやり眺めていると、鍛えられた耳がふと音を拾った。
ぼそぼそと呟くような声。
誰かが密談でもしているのかと思ったが、どうも違うようだ。声は一つだけだし、話しているような調子じゃない。何より声は上から聞こえてくる。ミナセのいる部屋は二階で、この上となると屋根しかないはずだった。
ミナセは結局好奇心に負け、窓から身を乗り出した。
じっくり見聞し、上れそうだと判断する。いくつかでっぱりもあるし、何より頑丈そうだ。持ち前の身のこなしを生かし、ミナセはひょいと屋根に上ってしまう。みし、と音がしたが深く考えないことにした。
案の定、屋根の上には人影があった。
大体予想はしていたが、それに違わず、見慣れた猫背がそこにあった。ユーゲンは突如現れたミナセに面食らったようだ。近くに浮かんでいた水球が弾けた。
「……よく上ってこれましたね」
ユーゲンの第一声は怒りを含んだものではなく、むしろ感心しているようですらあった。
「邪魔したか?」
先ほど水の弾けた場所を見やりつつ、ミナセは問うた。案の定、ユーゲンは首を横に振る。やめておけばよかったかな、とちらと思った。
「精霊と話していたのか?」
「兄上ですね」
「うむ」
「話すというほどのことじゃないですよ。遊んでいただけです」
めんどくさそうにユーゲンは言った。きっと何度も訊かれ、その度にそう返していたのだろう。
ミナセは押し黙った。思うままを口にする自分だからきっといらぬことを言ってしまうと思った。することもないので、自然と空を見上げる格好になる。
そしてぽつりとある考えが浮かんで、気がつけば口にしていた。こういうところがいけない。
「おぬしはこの空を見て育ったのだなぁ」
ならば王都の空は狭いはずだ。
「そうですね。王都もフェルミナもウェローも、空は同じじゃないですね」
「そうさのぅ」
そういえば彼は騎士団に入団する前はウェローに留学していたのだったか。北の大地の空も独特だ。
果たして一番好きな空はどれかと、ミナセは試しに聞いてみた。何気ない問いだ。旅の空だと、ユーゲンもあっさり答える。
続いてミナセは問うた。一番馴染む空は、と。
ユーゲンはしばし空を見上げたり目を閉じてみたりして考えていたが、やがてぽつりと言った。
「旅の空ですね」
「故郷の空でなく?」
「普通なら帰る家の場所が一番なのかもしれませんね。僕は違うようです」
「その点で言うなら拙者も違うのぅ」
「そうなんですか?」
「今までは旅の空が一番かと思っておったが、カヤがいないとどうもな」
「……愛妻家ですね」
「あれだな、おぬしの故郷は旅で、拙者の故郷はカヤなのだな。きっと」
ミナセとしては至極当然のことを言ったつもりだが、ユーゲンはちょっと引いたようだ。大抵の人間が妻を語るとこういう反応をするが、残念ながらミナセには悔い改めるつもりはなかった。
「……冷えてきましたね」
言うに困ったのか、ユーゲンはもう降りることにしたようだ。すっかり邪魔してしまったなと申し訳ない気持ちになる。
帰りはきちんと屋根裏に設置された階段を使って屋敷内に下りる。備え付けの階段は幾分新しく、ユーゲンのために設置されたものではないのかとふと思った。
酒でも持ち込めばよかったな。そう言うと大げさに溜め息をつかれてしまった。
「……あ」
無人の廊下にか細い声があがる。
見れば小さな女の子が戸惑ったようにこちらを見つめている。その褐色の肌には見覚えがあった。
「イリアネ」
ぽつりとユーゲンが呟く。
たしか自分の息子と同い年だったはずだ。ミナセは記憶をたぐりよせた。シャンルン家の現当主が後妻との間にもうけた、ユーゲンの妹。
大きな目がきょろきょろとさ迷っている。
「どうしたんです?」
淡々とユーゲンは聞いた。子供に対する態度じゃないなとミナセは少し呆れる。案の定、イリアネはすっかり畏縮してしまった。
「あの……」
「怖い夢でも見たのでござるか?」
ミナセは笑いかけた。
彼女はちょっと戸惑ったのち、精霊が、と小さく言った。怒られると思っているのか、身体を縮めている。
「起こしてしまったか?」
「楽しそうにしてたから……」
やはり小さい声だ。もじもじと伺うように呟いている。ミナセはますます笑みを深めた。
イリアネが生まれる前、というかユーゲンが生まれてすぐ、ユーゲンの両親は離婚した。当時ミナセは既に入団していたから、ユーゲンの父が他の女と恋仲になったときは随分複雑だった。姉がケイブ家へユーゲンを連れて戻ったと聞いたときは更に複雑だった。円満に離婚したのよ。姉はそう言った。跡取りのレーゼンは無理だがユーゲンならと言われ、子供を引き取ったと。
当初はシャンルン家当主に対して良い感情など持てようはずもなかった。けれど同時に愛してしまったのなら仕方ないと、どこかで思っていた。静かに寄り添いあう魔術師と巫女を見て。
今は違う感想を抱く。
子を持った者の意見としては、子に罪はないと。いつだって大人の事情で振り回されるのは子供なのだ。
だからミナセは、目線を合わせてイリアネに優しく笑いかけた。そんな思惑などなくとも、子供は単純に好きだ。
「もう夜も遅い。起こしてしまってすまなんだ」
少女はふるふると首を振った。けれどちょっと残念そうだ。ユーゲンをちらりと見上げたりしている。
「大人になって騎士団に入れば、共に語れよう」
その艶やかな黒髪を、ミナセは優しく撫でた。途端に輝きだす大きな瞳が実に正直で、愛くるしい。もうお眠りと声をかけると、ちょこんとお辞儀をして去っていった。
その小さな後ろ姿を見ながら、ミナセがあれは美人になるぞと隣の魔術師に笑いかける。
「嫁の貰い手が殺到するであろうな。レーゼンなどは嘆きそうだ」
事実レーゼンは妹を猫可愛がりしているようであった。喜々として抱き上げ、飴玉などをあげていた。
おぬしはどうだ、と続いて問いかけてみる。
「別に……」
「子供は嫌いか?」
「どうでしょう」
「子供は可愛いぞ、いずれおぬしも分かる」
どうなんですかねと返す声は明らかにやる気がない。そのままユーゲンはじゃあと言って、さっさと立ち去ってしまう。相変わらず自分の中の時間軸で動いているのだなと、おかしくなる。
ぶらぶらと部屋へと戻ると、開け放った窓から風が吹き込んできていた。カーテンが揺れている。
ミナセはそのまま窓を閉めた。
ユーゲンも罪のない子供だったと思いながら。
姉がユーゲンを引き取って数年は、彼はケイブ家にいた。けれど物心つくかつかないかの頃、姉が体を壊した。育児は困難になり、何より彼のその非凡さを知ったシャンルン家が引き取ると言い出した。詳しくは知らないが、いくつか親同士の攻防があったあと、彼はフェルミナへ引き取られていった。
ミナセには想像もつかない。そんな風に色々と周囲のごたごたに巻き込まれるような生活はしてこなかったから。
その夜は、あまり眠れなかった。
|