04

 入団から、あっというまに四年が過ぎた。
 古き者が去り、新たな者が入って、当たり前のように旅は続いていく。そんな日常に今やユーゲンはすっかり慣れ、もはや己の一部となっていた。
 ミナセの娘二人が入団し、レーゼンとユリアナが結婚して娘をもうけた。そしてミナセの娘の、妹の方が精霊を下ろしたりした。本人たちには目まぐるしいようだった日々も、ユーゲンには生きていくことの延長だった。ただ少し、昔より感じるものの多い四年だった。
 騎士団は今のところ年に一回は帰還している。二年、長ければ三年にも及ぶ遠征もあるということだから、今は比較的安定期だとミナセは言った。むしろ魔物よりも盗賊団などの人による災害が多いように見受けられると。
 セルシウス騎士団は王都に向かってウォルター平原を行く。
 一番後方をミナセと歩きながら、ユーゲンはこの遠征で倒してきた魔物の数を数えた。その数は三体。先年就任した三代目は、実に効率のいい遠征行程を組んだ。それから二月ほどしか経っていないが、新たな魔物の気配はない。
「おそらく前触れでござろうな」
「なんのです」
「ナグゾスサール出現には特徴があってな、まず安定期がある。この時期はあまり魔物が出ないが、やがて下位の魔物ばかりがやたらとわく時期に差し掛かる」
 そうすると近いうちにナグゾスサールが現れるのだと。あと五年もすれば現れるだろうとミナセは呟く。
「ナグゾスサールを間近で見たことがありますか」
「遠目なら若いときに一度あるぞ」
 その時は結婚したばかりのカヤが前線に出ていたので気が気でなかったと、愛妻ぶりを彼はさらす。
 ユーゲンはさらりと聞き流した。ミナセのこれも病気だ。妻の話題で思い出したのか、サムライはそうだと声をあげた。
「ユーゲン、こたびの帰還はいかがする?」
 ミナセがにこやかに問いかけてきた。魔術師がお邪魔しますと言うと尚嬉しそうに笑う。
 入団してから二年ほど経つと、自然と側にいる相手は更に限定された。レーゼンは二年前に結婚してからユリアナと共にいるし、他の団員も気心の知れた相手といる。いつのまにか、ユーゲンの隣はミナセの隣になった。戦闘でも互いに組むことが多く、騎士団内でも決まりきった一組という認識のようだった。
 そうやって日々を過ごしていれば自然と親睦は深まる。帰還の度にミナセの屋敷を訪ねるのは最早自然なことだった。
「王都に滞在中はずっとうちにおればよいのに」
 ミナセが少し口を尖らせたように言う。それ、三十路を過ぎた男がやっても可愛くないですから。そうぴしゃりと言ってやって、ユーゲンは少し笑う。
 ミナセは三十四歳に、ユーゲンは十九歳になった。一回り以上も年の離れた二人はなかなかどうして相性がよかった。
「……のぅ、ユーゲン」
「ですねぇ」
 一見意味をなさないのんびりしたやりとりだったが、二人の目は笑っていない。背後に一瞬気配があった。ユーゲンは何気なさを装って杖で地面をつつく。
 それは合図だった。
 あらかじめレーゼンの杖と連携しておいて、前方にいる兄に合図を送れる仕組みになっていた。レーゼンもまた何気なさを装って、決められた合図を団員へ送る。団長がいくつか呟いている。ユーゲンたちの元へは声は届かないが、当の本人たちは落ち着いたものだ。列の最後尾に位置された時点で、自動的に不測の事態に駆り出されるのが決まっている。
 盗賊団はなかなか飛び出してこなかった。それだけでなかなかの手練れだと知れる。殺気を一瞬で打ち消し、機を伺っているのだろう。だがそれは失敗だ。その間に騎士団も体勢を整えていく。
「のぅ、今日の夕飯は何にするかの」
 緊張感もなくミナセは笑った。刀の鍔が鳴る。今日の夕飯担当は彼だった。
「とりあえず香辛料は控え目にしてください」
 言いながらユーゲンも杖を構えなおす。溜め息混じりに。ミナセの味覚は多少狂っている。
「御意!」
 叫びながらミナセが駆け出したのと同時に、盗賊団の姿が見えた。その背にユーゲンは光を向ける。
 彼に力を添えるために。




 盗賊団をなんなく撃破し、セルシウス騎士団は今回も無事に王都にたどりついた。
 いったん本部に寄って荷物を置き、ユーゲンはミナセと隣り合って歩く。エンライ家へ向かう途中だった。彼の娘たちは一足先に帰っているようだ。最初は恐縮していたユーゲンも、何度かミナセに引きずられるようにして連れていかれてから抵抗を諦めた。
 おぬしはほっておけば本ばかり読んで自己管理せぬからな。
 それがミナセの言い分だった。いくら本部をまともに根城にしているのが己だけとはいえ、大丈夫だといくら言ってもきかなかった。もはや溜め息さえ忘れて通い慣れた道を行く。
 今日も森の近くを通って墓場に寄り、エンライ家へ行くはずだった。
 何も変わらないはずだった。それなのに。
 ふと、意識が強く引っ張られた。
 それは精霊が呼び掛けてくるときの感覚に似て、それよりも更に強い。
「ユーゲン?」
 ミナセが戸惑ったような声をあげたが、ユーゲンはそのままふらふらと森に分け入る。こんな誘われるような感触は初めてだった。こちらへ来いと言われている。頭の奥が痺れるようだ。
 追い付いてきたミナセが問うた。
「いかがした、一体ここに何があるのだ」
「分かりません。何かに呼ばれているような気がして」
 こんなことは初めてなんですと言いかけた瞬間、空が裂けた。夜空を二つに割ったのは紅い影。鋭い刃の形をして、二人を見下ろした。
「精霊……」
 ミナセが呆然と呟いた。脳裏に名が浮かぶ。
 アマノミツルギ。
 ああ、呼んだのは彼か。道理で声が大きく響いたはずだ。そう思った。
 精霊は何かを言ったようだ。けれど染み込まず、数拍遅れてやっと意味を理解する。加護をと、そう言った。それがはっきりと刷りこまれた頃には、空は静けさを取り戻していた。
「……聞いたか?」
「……残念ながら」
「残念なものか! よもや精霊を間近で見れようとは」
 ミナセは喜びを隠せないようだ。誇りに瞳が輝く。
 主にそれは精霊を至近距離で見れたことに対してのようで、どうやら喚んだことに関しては二の次らしいと知れた。娘が喚んだラキシュに関してはすっかり頭から抜け落ちているらしい。早く帰ってカヤに話そうなどと息巻いている。
 やっぱりミナセは病気だ。そう思った。
 ユーゲンはと言えば、とにかく驚いたのが一番だった。あんなにはっきりと、精霊の姿を見たのは初めてだ。自分の元にやってくる精霊は皆、優しさばかりを運んできたから。
 ミナセに引きずられながら、ユーゲンは思った。何かの間違いであろうと。そして精霊の話を聞いたカヤの第一声に、更にその思いを強くした。
「あらミナセ、浮気したのね?」
 脱力したのはいうまでもない。間違いであってくれと切に願った。
 隣のミナセはあまりにも思いがけなかったのか、言葉もない。顔面蒼白だ。
「そ、そそそのようなことは断じてない!」
 拙者はおぬしだけだと、臆面もなくミナセは叫んだ。本気で焦っているのか、おろおろと落ち着きがない。ユーゲンは頭痛がしてきた。散々信じてくれなどとみっともなく叫んだところで、カヤはふっと口元を緩めた。
「……ふふ、分かってるわよ」
「おお、信じてくれたか!」
 からかわれていたのだとは微塵も思わないらしい。頭は悪くないのに、ミナセはカヤに対して盲目的すぎる。これで愛があるのだというのだから、そうなのだろうとユーゲンは思うことにした。深く考えると辛いだけだ。
「じゃあちょっと屋根の修理してきてくれる?」
 あくまでカヤはにこやかに。ミナセは御意と叫んで走っていった。完璧に操作されている。本人はあれで幸せなのだ。救いようがない。
 ふふと、カヤが今度はユーゲンに笑いかけてきた。イクハ家のニンジャを前にすると構えてしまうのは何故だろう。
「あの人、本当にあなたが気に入ったみたいね」
 すっかりなついてるわ、とカヤは笑った。ユーゲンはどうしていいか分からず、眉根を寄せる。あらやだ、困ってるの。カヤはやっぱり笑う。
「私ね、あの人に心許せる存在ができるのは本当に嬉しいのよ」
 それが年下なら尚更ね。常と変わらぬ口調で、彼女は軽やかに言ってみせる。
 その真意は見えない。
「なんでそんなことを言うんです」
「きっと私が置いていってしまうから」
 あの人寂しがりなのよと。そう言う彼女はやはり笑ったままだ。透明で、末恐ろしい。彼女の娘達はカヤに瓜二つだけれど、そんな風には笑わない。そんな全てを見通したようには。
 そんなこと言ったらミナセは泣きますよ。そう言えたら楽だが、そんなものはカヤが一番よく知っているだろう。
「支えてあげて」
 そんなこと、僕なんかに頼まないで下さい。精霊が下りたのだって何かの間違いなんですから。そう言いたかった。言えたらよかった。
 でも結局ユーゲンは何も言えず、ただ爪先に落ちた影を見つめていた。
 戻ってきたミナセが呼び掛けるまで、ずっと。




 時間が経つにつれて、精霊の加護を得られたという重大さが身に染みてきた。
 団長への報告を済ませ、酒場への道をひとり歩きながら、ミナセはふと物思いにふける。精霊を間近で見られたという感動が勝り、あまり深くは考えなかったが、ユーゲンにとってはあまりめでたくないのかもしれないと。あれから魔術師はひとり考え込み、本部にこもっている。
 その類まれなる能力を持つユーゲンにしたら、精霊の加護などいらぬ世話かもしれない。
 その高い能力ゆえに彼は振り回され、寂しさを抱えこんでいるのだから。
 けれど一体それを思ったところで果たして自分は何が出来るだろう。いくら考えても答えは出ない。あまり細かいことに頭を回すのには慣れていなかった。
 溜め息をつきつつ、酒場の扉をくぐる。するとすぐさま呼び掛けられた。
「ミナセ、こっちこっち!」
 レーゼンが大きく手を振っている。隣にはユリアナが座っていて、常にない顔触れだった。
 足を引きずるようにして二人に近付く。
「ユーゲンはやっぱり来ないって?」
「……色々考えているようでござるな」
「精霊のこと、本当なのかい? 疑うわけじゃないけど、ユーゲンに聞いても要領を得なくてね」
「うむ。確かに精霊アマノミツルギでござった。力を貸すと」
 レーゼンはまいったなぁと笑った。その顔は少しもまいったといった感じではない。
「そっかぁ、ついに精霊まで呼んじゃったかぁ」
 さすが僕の弟と、口に出さずとも伝わってくる。
 ミナセは少しの違和感と微妙な居心地の悪さに、ふと言葉を見失う。何かを言わなくてはいけない気がするが、その何かが分からない。
「レーゼン、そういうのやめなさいよ」
 出てこぬ言葉に苦しめられていると、ユリアナが苛立った口調で吐き捨てた。酔ってはいないはずだが、顔が赤い。それは怒りだろうか。
「ユリアナ?」
「そうやって、あなたたちの期待がどれだけユーゲンを押し込めてると思ってるの」
 片眉をあげて、ユリアナはレーゼンを睨みつけた。
 視線を投げ掛けられた方は少し戸惑ったように頬をかいている。
 その言葉に、ミナセは分かった気がした。
 ユーゲンの抱える寂しさは、彼の優しさによるものだった。才能が彼を孤独においやったのではなく、かけられた期待を突っぱねることのできない優しさが。恩義があるからと、寂しさを押し込める誠実さが。
 彼を孤独にした。
 ユリアナは知っていたのだ。けれどユーゲンはきっと労りは求めてなかった。今だってきっと。
 何も知らないからこそ、自分は彼のそばにいられたのだ。
 それはどんな悲しみだろう。
 自分は愛されている。こんなにも愛され期待され、それなのに寂しさなんて感じるはずがない。感じていいはずがない。彼はそう思ったのかもしれない。優しくて、面倒臭がりなのにそのくせ律儀な彼は。
 ミナセは酒場からの帰り道、空を見上げてみた。
 この空をユーゲンは狭いと言った。建物が立ち並ぶこの王都においては、これが普通だ。角のある、歪な空。この空を彼は知っている。フェルミナの空も、ウェローの空も。
 でも一番は旅の空だという。
 そこにどんな思いがあるのかは知らない。検討もつかない。おそらくはユーゲンしか、いや、本人すら分かっていないかもしれない。難しく考えることは苦手だが、そうでなくてもあんな難解な人間の心情など想像もできない。
 そしておそらく、それでいいのだ。
 ミナセは家へと向けていた足を別方向へ向けた。大股で本部へと急ぐ。騎士団本部の門をくぐりユーゲンの部屋に入ると、彼は猫背をさらに曲げるようにして本を読んでいた。
「よし、ユーゲン付き合え」
「ちょ、脈絡がないですよ!」
「拙者にはある」
「僕にはないです。今何時だと思ってんですか」
「うむ、間違いなく深夜だの。だがよい、夜に行かねば意味がない」
「なんだってんですか一体」
「うむ、付き合え」
 ミナセはそれしか言わない。他に何も言うことがないし、ユーゲンはそれで諦めて共に来てくれると知っていた。伊達に四年間そばにいたわけではないのだ。
 そのまま疲れたようなユーゲンを引きつれ、ミナセは王都の外れ近くまで足を運んだ。小さな湖畔を望める絶景の場所だ。
「ここは?」
「よい眺めであろ?」
 カヤと二人でよく来たと話すと、途端にユーゲンはしらけた目を向けてきた。
「……いや、そんなところに僕を連れてこないでくださいよ」
「精霊の記念にな」
「どんな記念ですかそれ」
「まぁまぁ、つべこべ言わず空を見ぬか」
 ばしりと背中を叩くとユーゲンはよろめいた。ぶつくさ言いながらも、腰を落ち着けて空を見上げる。文句を言いたそうなユーゲンを黙らせ、しばし待つ。やがて、世界は静けさを取り戻していく。
 虫の声と、木々と風の囁きと。
 しんと静まり返った世界の中、空と水の気配だけがそこにある。星を移した水面はもう一つの空だった。
「驚きであろう? 王都にも広い空はあるのだぞ」
「……そうですね」
「よってその口調も変えるとよい」
「いえですから、さっきから全く脈絡がないです」
 彼にとってはそうだろう。けれどミナセにはあった。彼は出会った頃と変わった。ならばまだ変われるはずだった。その様を見たかった。
「なに、せっかく精霊が下りてきたのだ、よい機会ではないか」
 ミナセは笑う。精霊に対する信仰なんてものは微々たるものしかないが、こんな時くらいはすがってみてもいいだろう。
「……一体どうしたんです?」
「少しくらいはしゃいでも問題あるまい」
「精霊ってもっとこう、厳粛なものでしょう」
「そのような感性、拙者にあると思うか?」
「ないでしょうね」
 そうであろう、と返すとユーゲンはがっくり肩を落とした。その姿を見て、ミナセはかかと笑う。
「せっかくだ、色々やってやろうではないか」
 そう、せっかくだ。
 せっかくこうして出会って、共に行動するようになって、精霊まで下りてきた。せっかくだから、もっと有意義に生きてもいいはずだ。そんなことに使われるなんて、精霊は思ってもいないかもしれないが。
「……それってどうせ、僕に拒否権はないわけだよね」
「さもありなん」
 ミナセは笑った。その笑みを受けて、ユーゲンも口元を歪めた。空に向かって特大の溜め息をつく。
 全く仕方ないなと呟きながら。

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