笑顔であるために
02

 グラツィアにたどりついた騎士団を待ち受けていたのは、下位の竜族だった。
 都市の外れに位置する使われていなかった聖堂をねじろにしているらしく、騎士団は幸いにして不意な遭遇にあうこともなかった。フレスベルグは神官の話と斥候としたニナの話を統合して、新入り三人の投入を決めた。
「さっそくかよ」
 ナーオは淡々と呟いた。
 夜明けを待って、太陽を背に切り込む作戦だった。ナーオは緊張した様子もなく、調律に勤しんでいる。
「なんでそんな落ち着いてるんだ」
 メルレーネが若干恨みがましく聞いてきた。剣を握る手に力がこもっている。
「魔物自体は初めてじゃねぇからな」
 子供の頃、父親に連れられた旅路の途中で、遠目からだったが何度か見た。そして実戦も初めてというわけじゃない。反して何の経験もないメルレーネが緊張するのも道理だった。
 そんなに力むな、と声をかけてやる。
「団長も言ってたろ、敵は動作も遅いし、単発の攻撃しかしてこない。お前が攻撃されても、イータンの防御補助で充分しのげるって」
 加えて弓の名手もいて、優秀な魔女がナーオの補助につく。団長と組んだニナも前線だ。
「お前は後ろも横も気にせず、前だけ見てりゃいい」
 ナーオはやはり淡々と言った。
 彼の言葉で、メルレーネはこわばっていた全身がほぐれるのを感じる。呼吸の仕方を思い出したような気さえする。
 ナーオはいつだって安心をくれる相手だった。子供の頃から。
「ありがとう、ナーオ」
 メルレーネは微笑んだ。ナーオも口端をあげて応え、調律に戻る。メルレーネはその隣に腰掛け、剣の手入れをしはじめた。他愛のない会話で間を縫って。
 イータンはそんな二人を眺めていた。
 小さい頃は張り合うようにして、二人に近付いていった。でも今はそんなことはしない。苦々しく見つめるだけ。本来なら見ていることすら嫌なのだ。人目のあるところだったらまず見ない。でも誰もいないと分かっているところだと、つい目が追ってしまう。そしてその隣には必ずといっていいほど奴がいた。
 イライラする自分の制御ができず、イータンは溜め息をつく。
 これから魔物相手だというのに随分余裕だと、一方では思うが笑えない。彼女から逃げ出したいとは思っているが、彼女が傷つくのはごめんだった。
 神経をとぎすます。
 彼女をしかと守れるように。



 やがて空が白みだした。
 団長の声なき合図に、戦闘に参加するものは各々構えた。
 大丈夫だ。
 ナーオがそうメルレーネに囁くのを背後で聞く。イータンはぐっと杖を握り締めた。もろもろを胸の奥底に押さえ込む。集中しろ、と言い聞かせる。
 ひどい矛盾だ。離れたくてたまらないのに、視界にいないと不安になる。傷ついたり泣いたりするのは我慢がならない。離れるべきだと、離れたいと思っているのに、目は彼女を追う。
 やがて陽光がグラツィアの白い町並みを照らした。団長が叫ぶ。
「行くぞ!」
 躍り出たその先に、怪しくうごめく青緑の巨体を見る。
 まずはニナが躍り出た。地を蹴り、飛び上がり、ドラゴンの目周辺を狙い撃ちにする。団長の魔力がその身を輝かしく見せていた。続いて矢が飛ぶ。間髪入れぬ攻撃に、けれども魔物は激昂したようだ。硬直していた筋肉が破壊へとうごめく。
「メルレーネ!」
 イータンは叫んだ。前に出すぎだと言うまえに、ナーオがその腕を引いた。背後に飛び、叩きつけられた尾を間一髪で避ける。
 そのままドラゴンは火を噴いた。
 それを受け止めるのは団長の揺るぎない補助魔法。生きているようにうごめくマントは、どういう仕組みか、たやすくその炎を打ち消した。魔物は火を噴いたあとはしばし動きをとめる。そこを逃さず、ナーオの旋律が巨体にからみついた。
 人の音には聞こえぬ高音を発しているようで、魔物はもだえる。
 見ればその巨体はバランスを崩して大地に伏せるところだった。大地に衝撃が伝わる。
「行くよ、メルレーネ」
 イータンは言った。メルレーネは答える代わりに剣を構える。彼の緻密な魔法が白銀の鎧を包み込む。守る力と打ち砕く力。聖騎士は駆けた。ナーオの旋律が及ぶうちに懐にもぐりこむと、ドラゴンの顎の付け根めがけて剣をつきさす。
 返り血が飛ぶ。
 だが聖騎士の鎧が紅く染まることはない。魔術師の魔法が彼女を守っていた。
 いつの時も、彼女は守られていた。






 ターコイズドラゴンを倒した日の夜、騎士団はささやかな宴を催した。
 一杯だけだが、酒もふるまわれる。これは名実共に騎士団の仲間入りをしたことに対する祝いも兼ねているそうだ。やはり戦ってこそ騎士団の一員だと認められる。
 だがメルレーネは浮かれる気分になれなかった。
「どうしたの?」
 その様子に気付いたニナが優しく問いかける。
 彼女の女性らしいしぐさや表情は、メルレーネには眩しい。そうやろうと思っても、なかなかできなかった。実態はもっと大雑把だ。その面を見せられたのは、限られた人にだけで。
 メルレーネはその優しげな声と表情に促されるように、言葉をもらしていた。
「イータンもナーオも凄いな、と。……私など一撃を見舞うので精一杯だったのに」
 戦いの中で、さりげなくかばわれているのがよく分かった。イータンもナーオも、こちらに意識を置いているのがありありと。こちらは攻撃に集中することしかできなかったのに。そのことに気付いたのだって、戦闘を終えてから随分経ってからだった。
 同じ初陣だったはずなのに。
 メルレーネは沈み込んでいた。何に対してかは、彼女自身把握していなかったが。
「そうかしら?」
 呟かれた弱音に、ニナはけれども先ほどとは違った声音で応える。
「あの二人が緊張するそぶりを見せていたら、あなた、落ち着いて戦えた?」
 衝撃的だった。
 果たしてこれほどまでまっすぐ切り込まれるような問いをしてきた相手はいただろうか。こんなにはっきりと、二人に頼りきりだと指摘されたのは。
 メルレーネは二人を目で追った。普段は顔を合わすのも嫌だと言わんばかりなのに、妙に息のあった罵りあいの応酬をしている。いつもそうだ。喧嘩のときは誰も口を挟めないほどに言葉を交わす。交わすというよりは投げつけるといった具合だ。そこにメルレーネは入り込めない。
 彼女は止める気にもなれなかった。杯を口に運んではいるが、何の味もしない。
 いつまで甘えているのだ。そう叱咤する。
 いつまで自分は守られていなければならないのか。対等になりたくて、自分も彼らを助けたくて、一人でも平気なのだと証明したくて。そうして騎士団に入ったのに、これでは何も変わらない。
 弱いのだと思い知る。単純な力量云々ではなく、精神的に彼らに寄りかかっている。
「メルレーネ?」
 ニナが呼びかけてきた。
 でもメルレーネはとてもじゃないが答えを返せなかった。今少しでも声を発したら、泣いてしまう気がした。もう子供じゃないのに。
「あなたはどっちを選ぶのかしら」
「どっち?」
 二ナの不意の呟きに、メルレーネは訝る。
 でもいいの、私のものにさえ手を出さなければ。そう呟かれた独り言に、ますます置いていかれる。
 そして実際、ニナは立ち上がって歩いていってしまった。
 一人取り残され、メルレーネはテーブルにだらしなく寝そべる。もっと強くならなければ、と改めて思う。対等な関係でいたい。二人から取り残されるのは嫌だ。離れたくないのなら、自分が強くなるしかない。
 ナーオは旅に惹かれ、イータンは彼の道を行くというのなら。





「あんた、あいつのこと嫌いだろ」
 もう遠慮も何もなく、形ばかりの敬語すらかなぐり捨てて、ナーオは問うた。
 つっぷしたメルレーネにはイータンが水をもって走っていった。一方ナーオはニンジャを捕まえて、問いただす。周りには酔いつぶれた団員しかいなかった。ニナは気にした様子もなく、笑って問いかえす。
「誰のこと?」
「メルレーネ」
 分かっていながら問いかける性悪さに舌打ちしたい気分で、名前を口に出す。
「あらそう?」
「見てりゃ分かるよ」
「まぁ…そうね、見てるとイライラするわ」
 あっさりと彼女は認めた。それはそれでいらつくものだ。
「なんでだよ?」
「嫌われてるのはあなたじゃないのに?」
「うっせ」
「でも、好きでもあるのよ」
「意味わかんねぇ」
「あなたになら理解できると思うけど」
 余裕そうにニンジャは笑ってみせる。彼女はいつだって笑っている。時には柔らかく、時にはほがらかに、時には冷たく。
 今は真意の見えぬ笑顔で。
「あなたは好きなんでしょ」
「何のことだ?」
「見てれば分かるわよ」
 先ほどのやりとりを繰り返して、さもおかしそうに女は笑う。
 ナーオは相手が悪いと今更ながらに悟る。一筋縄ではいかない。聞いた話、彼女はロキ家の従者にあたるそうだ。小さい頃から権謀術数の世界に足を踏み入れ、主たるフレスベルグを守ってきたのだろう。
「なんで騎士団に入ったの」
「あんたに関係ない」
「私はね」
「聞いてねぇし」
 ニナは笑う。でもなんだか泣いてるようにも見える。
 こちらの事情などおかまいなしだ。抗議も感情もなにも無視して、彼女の言い分だけを放って心を乱す。
「ここなら身分を気にせずすむからよ」
 大事な人が誰かに取られるのを見てるしかない立場から、触れ合える位置に。忠誠も愛情も、区別や遠慮なしに捧げることができるから。
 縛り付ける色んなものを、一時的でもここならなくすことができる。
「あなたもそうじゃないの?」
 ナーオは否定しなかった。肯定もしなかった。
「あるいは逃げ出したかったのかしら。ううん、その両方ね?」
 彼女は見抜く。
 見抜いて暴いて、ナーオを動けなくさせる。言葉にしなければ自覚せずにいられたものをわざわざ口にして、ナーオに叩きつける。
 あなたと私は似てるわ、と彼女は言う。 
「でも決定的に違うのは、あなたは優しくて私は優しくないってこと」
 彼女は笑った。どこか優しさを装って。
「優しい人は損ね」
「優しくなんてねぇよ」
「優しいわよ」
 続けて放たれた声は、ナーオの意識を絡め取った。
 耳の奥には、涼やかな声音。
 人を癒すことも、惑わせることも、叩き落すことも自在な声。それが耳に残っている。ナーオは振り払おうとする。でもできない。
 ―――だってあなた、私と同じ道を選ぶことはできそうにないもの。
 彼女はそう言った。その唇を弧に歪めながら。

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