その白

 ―――ねぇマナ、僕じゃ駄目?
 あの声が耳から離れない。ずっとずっと居座り続けて、絶えず私を揺さぶるのだ。
















 ひっそりと静まりかえった森を歩く。
 冷えた風が頬を撫で、思わず眉をしかめた。こんな寒空の下で、彼はきっとひとりでいるのだろうから。
 やがて予想に違わぬ姿を見付けて、マナは嘆息した。
「ティーク」
 呼び掛ければ、彼は慌てたように立ち上がった。大方、後悔しすぎて動けずにいたのだろう。青ざめたその顔を見れば分かる。
「クロイツ、怒ってたわ」
「……うん」
「ユーゲンも気にしてた」
「うん」
「風邪ひくわよ」
「うん」
 返事はするが、こちらを見ることはない。
 ただ風だけが二人の沈黙を縫いあわせる。視線はからまない。
「……帰りましょ」
「マナ、さっきはごめん」
 踵を返した直後、ティークが呼び掛けてきた。今なら振り返らぬ限り、表情が見えることはない。見られることもない。だからかもしれなかった。それがありがたかった。
「でも、本気だから!」
 なかったことにしないでほしい、と声は告げる。
 そんなことできはしないのに。
「…えぇ」
 ただ頷くことしかできなかった。こういう時どういう表情をすればいいか、マナはすっかり見失っていた。彼とともに、冷たい土の下に眠らせてしまったから。余裕がなくて彼に見せられなかった微笑み以外の全てを。
 マナは振り返れなかった。
 ティークも顔を見る勇気はなかったのだろう、行こう、と声をかけて少し前を歩き始めた。
 おそらくその時はじめて、マナはティークをきちんと見上げた。思えば、いつも彼の顔を本当の意味で見つめたことはなかった。あの人以外の何かを、受けとるのは苦しかったから。
 前を歩かないでほしい、と思った。
 いつも隣にいてくれたのに、今は背中が見える。当たり前なのに、それが寂しかった。そして、怖かった。誰かの背中を守るのが魔女たる自分の役割だったけれど、戦う度に震えがくる。守りきれないことが恐ろしくて、防御呪文の訓練ばかりをひっそりと繰り返していた。誰かを守りたいというよりは、彼を喪った自分の心を守るために。
 もしまた目の前で誰かが倒れることがあったなら、きっと自分は壊れてしまうと知っていた。
 前方を歩くティークを見つめる。
 その距離感は、ユーゲンが退団して遠征にでたあとも変わることはなかった。














 人の思いなぞ知らず、魔物は世界中にわく。
 白炎の村に出現したゾドコルを前に、セルシウス騎士団は最後の作戦確認を行っていた。村の南に追い込んで罠にかける作戦だった。団長たるデュークが低く告げる。
「初撃はレナとシューラ。複数攻撃でかく乱し、森の中に誘導してくれ」
 騎士団の最高戦力である巫女と、団長に懸想しているニンジャが頷く。ニンジャのレナは入団したのは3年前。だが今では立派な攻撃手だ。
「補助にはセシルとマナがついてくれ。ティークは一足先に森の中で待機」
 中列を担当するのは三人。マナはティークの視線に気付かぬ振りをした。
「セシルにはクリス、マナには私が補助につく。ゾドコルは石化の術を持つ。十分に気を付けてくれ。…ティーク」
「大丈夫だよ、団長」
 そんなのは百も承知だといった具合に、力強く頷く。
 彼には補助はつかない。それなら自分が攻撃されたほうがいい。石化の術は厄介だ。そう思ったけれど、ティークは淡々と弓を持ち直す。恐怖はないようだ。
 どこか、淋しいような気がした。
「……では、行くぞ」
 合図とともに、それぞれが持ち場に向かう。レナの補助につくマナは、ちらりとティークを見やった。彼もこちらを見ていて、目があう。
「気を付けて」
 言葉を失ってしまったマナに、ティークは声をかける。そのままマナの返事を待たずに森に駆けていった。敵を見失っていた成人したての彼はもういなかった。当たり前のことなのに、マナは少し胸が痛んだ。
 けれど次の瞬間には守るべき相手を思いだし、レナに向き合う。彼女も彼女で、団長に声をかけてもらっていたようだ。
「よろしくね、マナ」
「えぇ」
「シューラの鈴の音が合図ね」
 マナは頷くと、呪文を唱える。あらかじめある程度術式を構築しておくためだ。その作業が終わったところで、高く響く鈴の音がした。
 一回。方向を見定める。
 二回。術式をほとんど完成させる。
 三回。身構える。
 四回目に鈴の音がしたとき、レナとマナは物陰から飛び出した。森の入り口でシューラの攻撃を受けたゾドコルが吠えていた。巫女にのびる手に向けて、レナがクナイを投げつける。
 新手に魔物が怯んだすきに、セシルとシューラが森へ。マナはすかさず先ほど同時に構築しておいた防御術式を仕上げにかかる。レナは高く飛び上がり、翼めがけてクナイを投げた。胴体よりも脆いそこを攻撃されて、ゾドコルは機動力を削がれる。マナが防御壁をほとんど構築したのと同時に、森の方から魔物の背中めがけて矢が放たれた。矢は正確に脇の下の無防備な部分を射抜く。
 レナとマナは森に駆ける。怒り狂ったゾドコルが二人のあとを追う。開けた場所まで出たところで、レナの足元に術が忍び寄った。
「彼の者に触れることあたはず!」
 マナは防御術を発動させる。霧散したそれに安心する間もなく、新たな石化の術がレナを襲った。体が痺れたように膝をつく彼女を見やって、マナは正面に踊り出る。杖の先に、魔力を集中する。目の端に後退するレナとシューラが見えた。守りの術を感じる。こめる魔力に別の力が加わる。ゾドコルは悠然と近付いてくる。震えはない。
 息を吸う。
「其の名は焔、其の影を今ここに示せ!」
 魔物の巨体がある地点にやってきたとき、マナは足元を炎上させた。あらかじめ燃えるように術をほどこされた木組が崩れ、ゾドコルは見事に落とし穴に落ちた。
「マナ!」
 ティークの声がして、思わずそちらを確認する。ナイフを魔物の目に突き刺して、ティークは魔女の傍らに駆けてくるところだった。彼には補助がないから、助けあえる位置にいないといけなかった。
 マナははっとする。
 彼の背後からゾドコルが顔をのぞかせていた。とっさに目をかばったのだ。
 魔女は駆けた。
 ただ無意識に魔力をこめ、彼を守ることしか頭になかった。
 反してティークは仰天する。このままではマナに危害が及ぶ。クリスの補助は予期せぬマナの行動についてこれていない。気付けば背後への注意も忘れ、彼女に腕を伸ばした。
 マナの魔力が白く弾ける。
 刹那、自分と魔物との間に立ちはだかった彼女を、ティークは強く引き寄せた。目くらましに動揺したゾドコルがところ構わず攻撃しだしたのに気付き、小さな体を自分の体で覆ってしまう。マナの帽子がどこかへ飛ぶ。そのまま小さな頭を抱え込んだ。
 離さない。
 それだけを強く思って。
「魔物風情が!!」
 そんな怒声と共に、ゾドコルが悲鳴をあげる。セシルの剣が放つ光が収まるころ、ティークはようよう力を緩めた。ふう、と息をつく。どうやら皆無事のようだ。
 木にぶつけたのだろう、少し頭が痛い。
「マナ?」
 気付けば彼はすっぽりと魔女を抱えこんでいた。彼女は顔をあげない。
「怪我でも―――」
「なにしてんだわさ!」
 滅多に聞かないマナの魔女口調に、ティークは硬直する。
 本気で怒ってるときにこの口調が出るらしかった。
「あんた補助ないのよ!? 気を付けなきゃダメじゃないさ! 私のことなんてかばったりして!」
 怒声にぽかんとしていたティークは、ことの次第に気付くとふつふつと怒りがこみあげてきた。どうして、マナは。
「敵に背なんて向け」
「マナだって何考えてんだよ! せっかく補助ついてんのに有効範囲から抜け出したら意味ないだろ!!」
 今度はマナが硬直する番だった。
 ティークが怒鳴るところなど、誰も一度だって見たことはなかった。
「なんで敵の目の前に飛び出すわけ!? 死にたいの!? 僕だってこれでも騎士団員なんだ! 好きな女に守られるとか、僕ってそんな頼りないかよ!」
 一気に吐き出してしまうと、ティークは肩で息をした。目の前のマナは泣きそうな顔をしている。それを見て、ティークはうなだれる。
「何かあったら、どうするんだよ…」
 そう弱々しく吐き出して。
「僕のせいでマナに何かあるなんて、ごめんだよ…」
 私だってそうよ。
 呟こうとした言葉は、唇が凍りついていて音にならなかった。ティークはますますうなだれる。何か言わなくては。そう思うのに、彼の名前だけしか出てこない。
 ティーク。
 けれどついに音にしないままでいると、彼はごめんとだけ言って一人行ってしまう。
 そこでようやく、心配そうにこちらを見ている仲間に気付いた。頬に血がのぼる。
「大丈夫か」
 マナはただ、クリスに頷くことしかできなかった。














 あの白が私を追いかけてくる。
 私に囁きかけ、責めたてる。絶えず白の世界が、目を閉じればあった。
 けれどそこに浮かぶ腕を見つけた。
 私に伸ばされ、私を守るように伸ばされた腕だった。
 マナ。
 名を呼ばれた。遠くから、近くから。その両方から。それは果たして誰の声だったかと考える。考えてみるけれど、答えは出せない。もしかしたら出したくないのかもしれない。
 私の心にいるのが誰であるかなど。

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