Dum Spiro, spero
02

 駆ける。跳躍する。
 クナイを投げ、足を振り上げる。
 戦いの中にいると、ひどく高揚する。思考が極端に狭められ、けれども視界は広がり、今なら何でもできるような気になれる。そうすると、他のことはどうでもよくなってしまう。命のやり取りをしているのが楽しいだなんて、間違いなく歪んでる。
 カロンは言う。
 戦闘なんて面倒なだけだと。
 ツクヨは返す。
 あんただって研究以外はどうでもいいだろと。
 自殺志願者だなどと呆れる者もいるが、彼女自身、誰よりも今を生きているように感じている。死と隣り合わせの戦闘でなければ楽しくはない。けれど死にたいわけではない。長く長く、あの高揚の中にいたいだけだ。
 最初、あの紅の瞳を見たとき。
 あの光に同じものを見つけたような気分になった。あとから思えば、それが気まぐれの引き金だった。
 けれどそれは間違いだった。
 ブラッドが魔物をなぎ倒していくのを横目に見れば、何がそんなに腹立たしいのか、しかめっ面で剣を振るい続けている。踏み込み、引き際、剣さばき。どれをとっても一流といって差し支えないが、ところどころで怒りが見え隠れしている。我を忘れていないだけ流石といったところか。
 北アクラルの長い冬に備えて、この時期は魔物が頻出する。一番の稼ぎ時でもある。基本的に町から提供されるのは簡素な衣食住が主で、あとは概ね酒代などに消えていくなけなしの給金のみ。だから傭兵たちは、収穫期にわらわらと湧いて出てくる魔物一匹につき、追加報酬を払うことを町に認めさせた。ゆえに皆、余念がない。普段は腰の重いカロンでさえ、研究費を得るためにせっせと魔物を焼いている。更には誰が一番多く魔物を屠るかで賭けがなされるのも恒例だ。
 今のところ、魔物討伐数はツクヨとブラッドが一番を競っていた。賭けにおいても二人に票が集中している。ブラッドがこの町にきてまだ一月足らずだが、その腕前は全員の知れるところとなっている。傷が治り、世話になっていた日数分の宿代と薬代をあっという間に払い終えたあと、ブラッドはこの町で収穫期を迎えることにしたようだった。
 基本的に流れの傭兵は、季節が冬へと移行していくごとに北方の町から徐々に南方へと移っていく。この町でも、多くの傭兵がその例に漏れない。
 見事に魔物討伐数一位の座を獲得したブラッドは、てっきり移動するものだと思われていたのに、どうやら残るようにしたようだった。
「えっ、あんた残ンの?」
「悪いか」
「いや別に。ただちょっと意外だっただけさ」
 一日の仕事終わりに酒場へと直行するのは、傭兵のさがのようなものだった。ただし、ブラッドやカロンのように酒ではなく食事を求める者は少ない上に、二人は喧騒が嫌いなので、自然と二人して酒場の片隅に陣取ることになる。といっても、たまたま同じテーブルに座っているといった具合なので、会話があるわけでもない。酒も食事も同じくらい腹に流し込むツクヨは、気安さからそこに加わる。そんなことを繰り返すうちに、それはいつの間にか日常になっていた。
「あんたはどうすんだっけ、カロン」
「とりあえず冬の間はこの町にいるよ。なかなか地下室の文献が手強くてね」
「相変わらず悪そうな顔で笑うねぇ。まるきり悪人だ」
「僕の顔面がどうだろうと関係ないね。そんなことより君はどうするんだ、ツクヨ。僕としては君が雑用を引き受けてくれるとありがたいんだけど」
「雑用はブラッドの係だろ」
「手は多い方がいいに決まってるだろう」
 カロンは、こともなげに言ってのける。隣でブラッドが苦虫を噛み潰したような顔をしているが、誰も気にしない。この魔術師は、しつこいのだ。
 ツクヨは空になった皿を脇へおしやると、だらしなく頬杖をつく。そしてつまらなそうに呟く。
「そうだねぇ……どうやらアルセナはしばらく戦争を吹っかけるのは止めたらしいし、特にすることもないし、したいことがあるわけでもない。飽きないうちはこの町にいるかな」
「ではさっそく地下室の文献を僕の部屋に運んでくれ」
「……報酬はちゃんと貰うからね」



 ここはいい町さ。
 酒場からの帰り道、ブラッドの隣を歩いていたツクヨは唐突にそんな風に切り出した。カロンは一足先に帰っていたので、斜陽に染まる道を二人で歩いている。
 ちょっと寒いけど、資源にはそこそこ恵まれている。立地的に深い森も険しい山もあって、人の往来も多いから、盗賊も魔物も尽きることがない。
 だからいい町だ、とツクヨは笑った。
 彼女の頬はうっすら上気している。酒に付き合わされたブラッドとは対象的だ。ツクヨの軽やかな足取りやその表情を見れば、浮かれているのがよく分かる。きっと誰が見ても、それは上機嫌な女だ。
 けれど眼だけが、すべてを裏切っている。
「……不満そうに見えるが?」
「あぁまあね、そりゃ不満さ。一番は戦場だからね」
 あんただってそうだろ?
 ツクヨは振り向きざまに笑ってみせる。白い肌をした騎士は、元から寄っていた眉根を更に寄せたようだ。
「一緒にするな」
「そりゃ、あんたは戦場が一番じゃないだろうけどさ、不満ではあるだろ? あんな風に当り散らしてさ」
「当り散らす?」
「自覚ないのかい? 戦ってるときのあんた、ただ叩きつけてるだけに見えるよ」
「……あんたは楽しそうだ」
「楽しいね。たまらなく楽しいさ!」
「たとえ死んでもか」
 響いた声音は、ひどく低かった。真正面から見据えた紅の瞳は暗く燃えている。ツクヨは自然と口の端が吊り上るのを感じた。背筋が震える。こんなに力のこもった眼は、なかなかない。まるで死に際の魔物だ。
 ツクヨは肩を竦めて笑った。
「アタシは戦争孤児だった。確か七歳くらいのときに親が死んだ。別に珍しくもない話さ。そのあと傭兵だった男に拾われて―エンライはそいつの名だったんだ、ひとりで生きる術を身につけた。それからずっと戦ってきたよ」
 あんたも知ってるだろ?
「傭兵ってやつは、戦って戦って、戦いの中で死ぬ」
「……死なないやつもいる」
「そう。不思議とさ、戦場で生き残っちまう奴もいるンだ。アタシを育てた男も、その口だった。そしてそいつが死んだとき、分かったのさ」
 それからだ。
 戦闘中に不思議な高揚を得るようになったのは。
 知ったような顔で、あなたは恩人を亡くした衝撃で感覚が麻痺しているんだと、そう言ってくる者もいた。同情を顔一杯に貼り付けて。けれどそんなことはどうでもよかった。心の傷がどうとか、死への恐怖だとかは。
「死ぬとか、そンなの興味ないね」
 だってアタシは、戦って死ぬと決まってるんだから。
 むしろ怖いのは。
「戦って死ねないことの方がこわいね。生き残っちまって、戦うことすらできなくなったら? 死ねないことの方が、遥かにこわいさ」
 初めてツクヨが殺した相手は、他でもない育ての親だった。エンライの名をくれた男だった。旅先で落石に巻き込まれ、死に切れず呻いていた。彼の左半身が血に塗れていたことを思い出す。運がよければ命だけは助かっただろう。最初彼女は助けようとしたはずだ。その頃はまだ『普通』だったはずだから。
 けれど男の瞳を見て、ツクヨは思い直した。
 決して懇願する光じゃなかった。まだ煌々と燃え盛っていた。その熱に魅入られ、その炎が、ツクヨの中に入り込んでしまったのだ。むしろ彼女は、嬉々としてそれを取り込みさえしたものだ。
 そして剣を男の首筋に当てたとき、心底思った。
 さすがアタシの惚れた男だと。
 だから燃えている瞳を見ると、否応なくあの熱を思い出す。ブラッドの紅の色彩が鮮やかに輝けば、それだけあの高揚に近付く。ただ少し、少しだけ違う。あんな投げやりな風ではない。もっともっと、彼の奥にはもっと純粋な炎があるはずだった。
「……おい、ツクヨ?」
「ん、あぁ、なんだいブラッド」
「急にぼんやりしたのはそっちだろう」
 そうだったっけ、とツクヨは笑った。いつもの、気持ちがいいと称される笑顔だった。その表情を見て毒気を抜かれたらしい。ブラッドは溜め息を一つついて、宿へと急ぐ。その後ろをニンジャが追う。
 ツクヨはあっさりと、さっきの話題を忘れてしまったようだった。軽やかに足音を鳴らしながら、ああそうだと言葉を紡ぐ。
「冬の間は暇だしさ、ブラッド、刺青入れてみない?」
「刺青……」
「そう。本来なら報酬もらうとこだけど、暇つぶしだから無料でいいよ。カロンは痛いのはイヤだって言って、入れたがらないンだ」
 ブラッドは首をめぐらせて、改めてツクヨの左半身を覆う刺青を見やった。繊細な意匠。ともすれば黒い模様が彼女の肌に取り付いているようにさえ見えるのに、それは美しい。
 だからだろうか。
 ブラッドは前に向き直ると、小さく呟いた。
「……考えておく」

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