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何枚描いてみても、しっくりこない。
秋はすっかり過ぎ去り、傭兵たちも多くが町を去り、あっという間に冬が迫ってきている。傭兵の出番も少なくなったので、ツクヨはブラッドに入れる刺青の図案を描いているのだが、どうにもしっくりこない。何枚も描いては、それら全てが屑籠に直行している。
ブラッドの希望で、刺青は彼の背中に入れることになった。いきなり背中一面というのでカロンは呆れていたようだが、面積が広ければ時間もかかる。冬の間中は退屈しなくて済みそうだとツクヨは笑ったものだ。
けれど肝心の図案が、なかなか浮かんでこない。
不謹慎だが、気分転換になりそうな魔物や盗賊の襲撃もない。となれば、行き先は一つだ。羽ペンを放り出して、ツクヨは意気揚々と酒場に向かった。
常駐している傭兵は少なくなったので、節約に節約を重ねる冬の食卓とはいえ、思わぬ幸運があったりする。自ら狩りにでかけて仕留めたウサギなどを調理してもらうのもいいが、酒場の親爺に可愛らしくお願いをしてみせて少し肉を上乗せしてもらう方が簡単だ。今日もそんな『幸運』を期待して酒場の扉を開けたのだが、いつもとは雰囲気が違っていた。
陽気な笑い声やダミ声はなく、その場にいる全員が息を詰めている。あるいはひそひそと囁く声。どうやら、いつもカロンとブラッドとが陣取っている付近に視線が集中している。
ツクヨは疑問に思いながらも人ごみを掻き分け、問題の中心へと近付いた。
「飯が不味くなる。失せろ」
ブラッドの声だ。いつもより低い。怒りをこらえているのだと、すぐに分かった。その正面には屈強な戦士と冒険者がひとりずつ立っている。ブラッドの斜向かいに座っているカロンは興味なさそうに本に視線を落としているが、意識は向けている。
戦士の方には見覚えがあった。何度か仕事をしたことがある。確か冬前に南へ向かったはずだが、季節外れの気まぐれでも起こしたのだろう。現実的ではないが、ままあることだ。連れらしき冒険者は見たことがない。
「何やってンだい」
ツクヨが呆れたように声をかけると、ブラッドを睨み付けていた男二人は驚きに振り返る。ブラッドはとっくに気付いていたから、わざわざ視線など寄越さない。カロンは小さく肩を竦めてみせた。
「なんか酒場がお通夜みたいじゃないか。というかそこどいてくれる、アタシの席だし」
「おいツクヨ」
冒険者を脇にのけようとすると、戦士が彼女を呼ぶ。顔は見たことはあるが、名前は思い出せない。
「あーあんた誰だっけ」
「んなこたぁどうでもいい!! こいつが何者か知ってたのかよ!」
「え、ブラッド・ボアルだろ」
「ああもうそうじゃねぇ!」
「コイツの正体を知ってるのかい、って聴いたのさ」口を挟んできたのは冒険者だった。訳が分からないという顔をツクヨがすると、したり顔で頷く。「やっぱり知らなかったんだね」
「こいつはなぁ、とんだペテン野郎だ」
「誰が?」
「このきもちわりぃ目付きした野郎がだよ!」
「白い肌に真っ赤な眼、身の丈ほどの剣を扱う男なんてコイツ以外にいやしない。ブラッド・ボアルは間違いなく、仲間殺しの大罪人さ」
「へぇ」
これは予想外の言葉だ。
知らず口の端が浮く。そのままブラッドを見てみると、黙ってじっと目をつぶっている。ああ、我慢しなくてもいいのに。ツクヨはそう思った。
「ツクヨ、信じてねぇだろ!? こいつはどこ行っても、どんな危険な場所に行っても必ず帰ってくる。仲間は全滅してても、こいつは必ずだ」
「強いからだろ」
「一度や二度じゃねぇぞ! 何回も何回も、こいつしか帰ってこねぇんだ! 強いのは認めるが、強運だとかそんな範疇の話じゃねぇ」
「だとしたら」冒険者が後を引き継ぐ。「考えられる可能性は一つしかないよね」
なるほど、言いたいことは分かった。
報酬の独り占めしたさに、仲間を殺す傭兵の例がないわけじゃない。あの悪名高いスクーレでは、ごくごく当たり前のことらしい。
けれどツクヨにはどうにも解せない。この男共は一体何をこんなにキャンキャン喚いているのだろう。
だって。
「それ、騙される方が悪いンじゃない?」
ツクヨはそう言った。心からそう思っていたから言った。案の定、その場にいた全員が硬直する。ブラッドも驚いているようだ。否、ひとりだけ例外がいた。カロンだ。小刻みに肩を震わせている。
「なっ、なんでそうなる!?」
「だってさ、そうだろ。もしブラッドが報酬独り占めのために殺したとしてもさ、見抜けない方が馬鹿だろ。それにそいつらが死んだのは、弱かったからだろ」
「い、一緒に仕事する相手のことは信用するもんだろうが!? 誰が後ろから刺されるなんて思う!?」
戦士は喚く。冒険者も合間を縫って、同じような内容のことを口走る。まるでキィキィ鳴くネズミだ。
ツクヨは溜め息をついた。
「信じるだなんて、安い言葉を使うなよ」
たとえ一緒に仕事をしようが、同じ魔物が狙いだろうが、油断する方が悪い。盗賊相手にだって戦うこともあるくせに、何を寝ぼけているのか。
そう、油断する方が悪い。
ツクヨは長い脚を振り上げた。爪先が、綺麗に冒険者の鳩尾へと入る。床に冒険者が倒れこむ前に、戦士の顎へと一発叩き込む。
「アタシらの生業は命の取り合いだ。そこに例外なんてないンだよ」
ツクヨは聞き分けのいい者と強い者が好きだ。
反対に、愚か者と臆病者が大嫌いだった。
ブラッドは強いから生き残った。それだけだ。それ以外に理由なんてありはしない。
「あ、そこのおっさん、こいつら外に放り出しといて。気は失ってないから凍死はしないでしょ」
遠巻きに見つめていた剣闘士を名指しして、床でのた打ち回っている男二人を連れて行かせる。扉の閉める音が響くと、ツクヨは椅子にふんぞり返った。
「カロン、あんたいつまで笑ってンの」
「いやぁ、清々しく予想通りの言葉を口にするものだからついね。ツクヨははっきりしてる」
「だって、あいつら馬鹿なんだもンさ」
ねぇ、とブラッドの方を顧みると、一体どういう顔をしていいんだか分からないらしい。怒るでも呆れるでもなく喜ぶでもなく。
「ブラッドが仕事仲間を殺すなんてねぇ」
「おや、信じないんじゃなかったのかい」
面白がっていることを隠そうともしないカロンが、例の悪人のような笑顔を浮かべて言う。
「だってアタシは死んでないだろ」
アタシは強いんだ。
だから、そう簡単には殺されない。
「……まぁでも、ブラッドくらい強い奴と戦って死ぬなら、それはそれでありだけどねぇ」
けらけらと笑ってみせると、唐突に腹が減っていたことを思い出した。火酒と一緒に、山盛りのシチューを頼む。注文を告げ終えた頃には、酒場には喧騒が戻ってきていた。たとえそれが表面上のものであったとしても。
やがて酒もシチューも胃袋に収めると、ツクヨは図案をやるために部屋に戻ることにした。カロンは本に熱中していて、何も耳には入っていないようだから置いていく。ブラッドは彼女の数歩後ろに続いた。
夜になると、寒さはいっそ暴力だ。
けれどツクヨはそれをものともしない。
「アタシはもっと北の生まれなンだ。寒さは慣れっこさ。このくらいなら余裕だね」
「……そうか」
「ああでも、一度王都の近くに行ったときは苦しかったっけ。空気がじめじめしててさ。全身ベタベタして、それがとにかく気持ち悪くて」
「……ツクヨ」
「んん?」
「気にならないのか?」
「なにが?」
ツクヨは足を止めて、振り返る。真正面から、ブラッドを見据える。ひたすらに真っ直ぐ。
「俺が戦場からいつもひとりで帰る理由。それだけじゃない、あんたは見たろ。俺の傷の治り具合を」
もしかして出会うきっかけになったあの傷のことか。もう跡形もない、ブラッドが背中に負ったはずの傷。刺青を彫るために背中を見せてもらったとき、名残すらなかった。
彼はもう一度問いを繰り返す。
「気にならないのか?」
「ならないけど?」
興味ないよ、とツクヨは笑った。そんなものはどうでもよかった。いつも言ってる、戦いの中で得られる高揚以外はどうでもいいと。
「あんたの傷の治りがどうとか、アタシは知ったこっちゃないよ。あんたの名前はブラッドで、あんたは強い。それだけ知ってれば十分だ」
そして、瞳の奥に炎があること。
大事なのはその三つだ。
ああそうだ、あとその炎にどうしようもなく惹きつけられることと。そのことだけが、ツクヨの中に明確に残っている。
それがきちんと残っていれば、それでいい。
ブラッドはまじまじと、ツクヨを見つめてきた。その色彩は綺麗だった。いつもどこか残っていた濁りは今消えて、透き通っている。
ああそうだ、アタシはそういうのが見たいんだ。
その炎を、形にしたいんだ。
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