01

 僕はノースランドの片隅に産まれ、アリオーソという名を父より授けられた。
 僕には強い魔力があって、幼い頃から何かと苦しめられた。外部に対して魔力は垂れ流しだったから、それも当然だったろう。十二を数える頃、家ではすっかり厄介者と化していて、ある日奉公へ出された。たぶんもう生家に戻ることはないだろうと僕は思っていて、それは的中した。奉公先は怪しい魔術研究所で、奉公というよりは体のいい実験体だった。そこには僕と同じような境遇の子供が沢山いた。彼女もまた、そんな子供のうちの一人だった。
 彼女は見るからに冷ややかで、白い肌に銀髪、色素の薄い瞳が内面の冷たさをそのまま具現しているようだった。彼女はシーラと名乗った。幼い頃からここにいる彼女は一番の古株で、それは彼女が多くの死を見守ってきたことの証であり、彼女の強靭さを物語るものだった。他者には露ほども関心を示さない彼女が少しだけ僕に視線を向けたのは、同等の魔力を持っていたからだろう。
 当時の魔術は不完全な代物で、手探り状態で進めるしかなかった。そこで僕らのような魔力を持て余している子供を連れてきて、術を行使させるか、または術をかけるかした。売られたのだと実感するには三日あれば十分だった。シーラはあざけるように言った。
「膨大な魔力持ちは大事にしてくださるわよ」
 それは事実だった。
 そこでは一年生き延びるのはまれであり、その子どもをいかに長く『使う』かが考慮されるのだ。そしてそれが質のいい実験体であれば尚更のこと。僕はその研究所で二年生き延びた。
 僕やシーラにとって幸運だったのは、度重なる実験によって絶えず魔力を消費することで、ともすれば大きすぎる自分自身の力に押し潰されなかったことだろう。常人は生きる源としての魔力、生命力と言ってもいいそれを酷使すると死にいたる。その死への実験が、僕らに正反対の作用を及ぼしたのは皮肉だった。
 僕はそれまで痩せほそった手足と小さな体つきをしていたが、正しい魔力の循環と生家よりも恵まれた生活環境によってすくすくと育った。シーラも他に比べると頭ひとつ飛び抜けていた。文字通りの意味でも、才能という意味でも。
 さて、そんな風にあっという間に二年が過ぎ去ったわけだが、当然僕らは研究所に感謝なんて抱きようはずもなかった。いつ庭に埋められた他の子どもたちのように命を落とすか知れたものではなかった。
 だから僕とシーラは協力してそこから逃げ出した。僕は十四、シーラは十五だった。

   ◆

 ここでアリオーソの手記は一旦途切れている。
 というのも、ところどころに正体不明のしみがついて文字を消してしまっているからだ。三ページにわたるそれは、アリオーソとシーラが研究所から逃げ、ノースランドにいたる足取りをすっかり消してしまった。かろうじて二人がいた研究所はジグーの近くであること、彼らはそこで実験されていた魔術を大部分会得していたことがわかった。
 手記の続きは、ちょうど彼らが追っ手を避けて凍土の森にいたったところから始まっている。

   ◆

 彼らが我々を連れ戻すつもりなのではなく、むしろ持ち出した魔術もろとも抹殺するつもりなのは分かりきっていた。僕とシーラは、追っ手をまく苦肉の策として魔物がいるとされる凍土の森に分け入った。
 凍土の森では、あらゆるものが凍っている。緯度的にはありえないのだが、森の奥に分け入るほど樹氷が目についた。僕らは口をつぐんだまま、いつ魔物が飛び出してくるか分からない森の中を進んだ。
 奥へ奥へと進むほど、森は白さを増していった。
 僕は情けないことに怯えきっていたのだけれど、シーラはぴんと背筋を伸ばして進んでいた。僕はそれから長いこと彼女のそばにいたわけだが、彼女が表立って取り乱したのは数えるほどしかなかった。
 やがて僕らは樹と一体化しているような遺跡に辿りついた。一体どういう行程でもってそこに辿り着けたのかは不明だが、それは急に現れたとしかいいようがなかった。
 石で作られた小さな祠らしきものを取り囲むように樹氷があり、僕の目にはひどく神聖なものとして映った。
 僕らは声もなく吸い寄せられた。僕らはすっかりそれに魅せられていた。その祠を中心に膨大な魔力が秘められているのは一目で分かった。世界にはそういった場所があるのは知っていたけれど、何より僕らをひきつけたのは、その魔力が整然としたものだったからだ。どこにも乱れはなく、その大きさに比例した歪みや暴走の兆候は微塵もなかった。
 僕らは美しい魔術の体現を見たのだ。
 シーラが手を伸ばした。その段になってそれに触れるのは何らかの危険を及ぼすのではと僕は思った。けれど止める間もなく、彼女はその祠を取り囲むようだった結界に手を触れた。
 視界が真っ白に染まった。
 それが祠を中心に発せられた光だと気付くのに、少しの時間を要した。視界同様に真っ白に染まった思考では永遠のように感じた時間も、きっとそんな長いものではなかったのだろう。目をしばたたかせ、ふらつく頭を支えて見上げた先にはシーラが佇んでいた。
 先ほど僕はシーラの取り乱したところを数える程度しか見たことないと書いたが、最初のそれがまさにそのときだった。
 彼女は泣いていた。
 そしてそう、僕の頬にも涙が伝っていた。
 僕はそれまで、あれほど美しい魔術に触れたことがなかったのだ。触れた瞬間にその構築式が脳裏を横切ったが、その比類なき完璧さは僕の魂を揺さぶった。精霊言語が美しいものであるというのは、魔術を学ぶ者なら誰にとっても共通の真理だったろう。それを人間が粗悪にしか改変できなかったというのは悲劇だ。だからこそ暴走は起きたし、人はありあまる魔力によって不幸を招いた。けれど、僕の脳裏を横切った魔術は人間の害悪さとは無縁だった。美しかった。どこにも無駄のない構築式は、逆流など知らぬ水のように、魔力を真理へと導いた。そして開放へと。
 そのとき立ちすくむシーラと僕の目の前には、人影があった。いうまでもなく、それは先ほどまで影も形もなかった。
 その人物は子どもと見まがうほど小さく、当時の僕の胸のあたりまでしかなかったと記憶している。大きな鼻と、伸ばしっぱなしの髪は彼の顔のほとんどを隠してしまっていた。長い杖を手にしたまま、樹氷の根元にぽつりと腰を下ろしていた。僕には彼が決して寝ているわけではなく、僕らの方を見ているのだと理解していた。そして彼が何よりも美しい魔術の使い手だということも。
「あなたは?」
 シーラがゆっくりと問いかけた。その人物はわずかに顔を動かすと、ひたと彼女を見据えた。
「……封印、されていたんですか」
 今度は僕が問いかけた。光に触れた瞬間に結界がどういったものかを僕は瞬時に理解していた。そして、知らず敬語になっていた。僕はその当時、お世辞にも品がいいとは言えながったが、彼に対しては敬意を示すべきだと自然と思った。彼はシーラにしたのと同じように僕を見た。
 前髪に隠されているはずの瞳を、僕は見た気がした。
 不思議な瞳だった。向けられた瞬間にはきらきらと光を宿しているような印象を受けたが、次の瞬間には闇を内包したようなそれに変わった。でも錯覚だったかもしれない、と当時の僕は思った。やはり彼の瞳は前髪に隠されたままだったから。
 彼はぴょこりと立ち上がると、音も立てずに僕らの脇を歩いていった。僕とシーラはその姿を目で追った。その時、シーラの喉元に奇妙な紋様が浮かんでいた。どうやら封印に触れたせいでそうなったらしく、(その後で僕の後ろの首の付け根にも同じ紋様がついているのを見つけることになるのだが)、それはカラスとクモの巣が組み合わさったような紋様だった。シーラはそれにはすっかり気付いてないようだった。ずっと、彼女の目は彼を見つめていた。やがて彼はとある樹の前で立ち止まると、小さく杖を構えた。まさか追っ手がきたのかと身構えると、突如として魔物の咆哮が木々の間に響き渡った。急いで逃げなければと焦った僕の目に映ったのは、微動だにしない彼とそれに従うようなシーラだった。
「シーラ、逃げないと」
 彼女は僕の声が耳に入っていないようだった。一心に封印を解かれた男を見ていた。「シーラ!」僕は怒鳴ったが、彼女の意識にもはや僕はいなかった。彼女の心は、目の前の男で全て占められていた。
 やがて杖を構えた彼の前に、大きな魔物が姿を現した。それは魔獣族で、二つの頭を持った黒い毛並みの魔物だった。街の近隣では見かけたこともない、到底非力な三人では倒せそうもない相手だった。もう駄目だと、僕はそう絶望した。聞いたこともないような呪文が、僕の鼓膜を揺さぶるまで。
 彼は杖をゆっくりと揺らしながら、ぼそぼそと呪文を呟いていた。すると驚くべきことが起こった。その時の光景をうまく表せるだけの文才が僕にないのは、悲劇以外の何物でもない。彼が呪文を発するたびに周囲に光が生み出され、やがてゆっくりと魔物を取り囲んだ。そして魔物の巨体がまるで夢でも見はじめたように突然に地面に伏し、柔らかな寝息をたてはじめたのだ!
 彼は魔物を殺さなかった。
 ちらりと僕らを肩越しに振り返ると、眠っている魔物の脇を通りぬけ、あっさりと入り組んだ森の外へと出てしまった。僕らはただそれについていった。
 森の外では日が少し傾き始めていた。その色彩に目をすがめたあと、彼は突然に言葉を発した。
「私のことは、好きに呼んでいい」
 そう、その日、僕とシーラは稀代の魔術師と出会ったのだった。
 彼が更に北の地へ向かうのにあわせて僕らは旅をした。道中で僕らは彼に師事した。彼は僕らの中の魔力をいかに統制するか、精霊言語をいかに構築式に組み込むか、そういった魔術の基礎ともいえる部分を伝授してくれた。彼は名前を名乗らなかったが、もしかしたら持っていなかったのかもしれないが、僕とシーラは彼を『ウェロー』と呼んだ。
 世界を識る者、と。

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