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『北に住み着いている不穏分子たちについてご報告申し上げます。ケムの森と呼ばれる地にて、魔術を使う集団を確認いたしました。
こうして書面にて急ぎご報告申し上げましたのは、かなりの脅威になりうると判断したからでございます。ジグーより北西に位置する魔術研究所がたった一人の魔女によって壊滅したという報告を受け、守護隊が実際に赴き確認いたしましたところ、かなりの人数が集まっておりました。またその魔術研究内容も、先の研究所とは比べ物にならない精度でした。交戦こそなかったものの、その集団の戦闘能力はかなり高いと想定されます。
ノースランド海岸線における守護を強化いたしましたが、この問題に際して元帥閣下のご判断を仰ぎたく存じます。
北方辺境守護隊隊長』
ここにあげたのは、当時の北方辺境守護隊からアルセナ王国の元帥に宛てられた書き損じ文書である。こういった書き損じ文書が残っていたのは、実に幸運なことであった。
こうしてみると、いかに多くの史料が誰にも知られることなく埋もれていたのかが分かる。アルセナ王国が大陸を平定した際に、国にとって不都合な書物は処分されたというが、きっとそれに逆らう流れも確かに存在していたのだろう。王都から離れれば離れるほど、隠された史料の多さに目をみはったものだ。一つの国が歴史の表舞台に立った際に隠される陰の部分というのは、往々にして多い。
さて、この文書から分かるとおり、魔女シーラがかつて自分も収容されていた研究所を壊滅させたのは、思わぬ波紋を呼ぶことになったようである。当時の北方に対してアルセナ王国は無関心だったようだが、この報告がその意識を少なからず変えたのは想像に難くない。
とはいっても、すぐさま軍事的措置がとられたわけではなかったようである。やはり雪に閉ざされた資源の乏しい北方よりも、バルクウェイの鉱山を中心とした南方資源に執着するのは極自然なことだ。ウェローたちも何らかの行動を起こすことはなかったようだから尚更だろう。結果として、この報告がなされてから更に数年は、北は平和だった。
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最初は僕とシーラ、そしてウェローの生活だけを考えていればよかった状況から一変して、人が増えてくれば統率が必要になってくる。ウェローはそういったものに全く関心を示さなかったし、また彼にそういった細かいことができるとは僕らも思っていなかったので、必然的に僕とシーラで共同体の雑事を行うことになった。シーラは揉め事の立会いなどは一切関与しないと明言していたので、対人的な雑事は僕の担当だった。その代わり彼女はもっと体制的な方面で力を発揮していた。
僕らの元に集ったのは、何も魔力を持て余した若者や魔術をかじった人間ばかりじゃなかった。新天地を求めた者もいたし、新たな商売の場を求めてやってきた者もいた。もちろん中には良からぬことを企む者もいたが、そういう者たちは総じてウェローの一瞥に耐えられなくて逃げ出した。
シーラが研究所を雪に沈めた事件までは、共同体の人数は百名にも満たないものだったと記憶している。まだ僕らには互いに面識があったし、本当に小さな村といったような具合だった。まず朝早くに起きだして農作業をしたり、その日の食料を確保する。それは大体昼までかかるので、午後からは魔術の授業をしたりする。既にあらかた学んだ者は自分の研究をしたり、幼い子どもの面倒を見たりした。夜になれば皆で議論を交わしたりもした。皆勤勉で優秀だった。ウェローは焚き火のそばでうたた寝をしたり、火を使って龍が踊るように見せたこともあった。
けれどあの事件から、僕らの共同体は広く知れ渡るようになったようだ。次々と噂を聞きつけたという者たちが集まりだした。規模は膨れ上がり、僕らはもう自分の記憶だけでは住民を把握しきれなくなっていた。各々が自然と役割を担い、それを遂行することが自然だった時代は終わった。僕が指示を出す局面は増え、繋がりは希薄になり、ウェローの神聖さは人並みに埋もれてしまった。村は町になった。町は更に大きな街になった。元から研究施設として大きめな建物を造っておいたので、小さい建物が乱立するといった事態にはならなかった。そういった意味での混乱は避けられた。全てはウェローの指示だった。けれど僕とシーラが高みに追いやられるのはあっという間だった。僕はそれに戸惑ったのだけれど、シーラはただ面倒が増えたとぼやくだけだった。
どういったわけか、集まった者たちは大体、協調性という点において不安があった。それでも大きな問題もなくやっていけたのは、自分の領域というものを大事にすることを知っている人種ばかりだったからだろうか。有体に言えば、自分の研究にばかり目がいく人間ばかりだったので、共同生活における最低条件さえ明示しておけば、大した問題は起こらなかった。他人に興味がなかったと、そう言ってしまえばそれまでなのだろうけど。
最初こそ戸惑いはしたけれど、それはそれで楽しくもあった。それに僕とシーラとウェローの関係性が何か変容を遂げたわけではなかったから。僕は本当に、三人の絆というものが一番に大事だったんだと、今になって強く実感している。
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あの日々は、わたしの中で幸せな記憶の一つとして残っている。それまで名前を優しく呼んでもらえる経験はなかったけれど、そこでわたしは初めてロッダという名前を好きになれそうだと思った。
わたしには、みんなのびのびと生活しているように見えた。北の大地は食料の問題などがあるとのことだったけれど、あの研究所での日々に比べたら天国みたいなものだった。もうわたしは怯えなくてよかった。絶え間ない痛みに、苦しまなくてよかった。それだけで何物にも変えがたい喜びだった。
研究所から救い出された子どもは大体十歳前後で、当然親なんてあるはずもなかったから、みんな一箇所で身を寄せ合って暮らした。アリオーソ先生も、シーラ先生も、他の先生も、みんな優しかった。他の大人たちは研究にあけくれていて、でもあの施設のようにおどろおどろしい雰囲気はなかった。
そこでわたしは、人の役に立つ魔術を教えてもらった。誰かを支配したり、誰かを傷つけなくても済む魔法だった。もちろん自衛のために最低限のことは教えられたけれど、わたしが夢中になったのは医療魔術だった。あの場所はまさに魔術の理想郷といってよかったかもしれない。
けれど時代は、それを許さなかった。
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アルセナ王国からの使者がやってきたのは、膨れ上がった共同体がどうにか落ち着いた頃だった。僕らがウェローと出会ってから、ゆうに十数年のときが流れていた。このときこそ、まさに僕らの第二の転機だっただろう。
「保護を申し入れてきたですって?」
例によって使者に応対したのは僕で、その後僕の報告を聞いて、シーラは眉をくっと上げた。冗談じゃないと言いたげだった。僕も同意見だった。
「僕らのやってることは極めて危険で、正しい保護の下に置かれなくちゃいけない、とのことです」
「よくいうわ。私たちの魔術をシーリンドとの戦争に使いたいだけじゃない」シーラは心底馬鹿にしたように鼻を鳴らした。「戦争なんてもののために魔術が使われるなんて我慢がならないわ。こっちが何もわかってないと思ってるのかしら」
「僕らは国としての体裁がないから、協定を取り結ぶ必要もないと侮ってるんでしょう」
僕はどうしますかとウェローを仰ぎ見た。彼は椅子に深く腰掛けたまま、思案しているようだった。しばらく沈黙が続き、彼は僕らが思うようにすればいいと言った。
「戦争になると思いますか?」二人きりになった時、僕はシーラに聞いてみた。ウェローはこのことに関しては、いつも以上に無口だった。「ウェローは何を考えてるんでしょうね」
「彼の考えていることなんて、私たちにはわからないわよ。何を見ているのかも」
シーラはひらひらと手を振り、そんなものは分かりきっているといった態度だった。誰よりもウェローに傾倒している彼女だって、あの不思議な魔術師のことを全部知っているわけではないのだった。
「もし戦いになったら……勝ち目はあるでしょうか」
「五分五分ってところね。うまくこちらで戦場を整えることができれば、かなり有利にことを運べるはず」
「必要とあらば、国としての姿勢を打ち出すべきでしょうね」僕は溜め息をつきながら言ったと思う。それはかなり重い懸案事項だった。叶うなら静かに暮らしていたかった。「かなり気は進みませんが」
「王様役は誰がやるの? 私はごめんよ」
まるでお遊戯会のそれであるかのように、シーラは言った。彼女はそういった俗世とは一線を画していたいと、そう思っている節があった。
「僕だってごめんです」
そこまで言って、ふと僕らは同時に視線を出会わせた。同じ名前を脳裏に浮かべたのが、手に取るように分かった。そして同時に笑った。
「……柄じゃないですよねぇ」
「あの人に押し付けていい仕事じゃないわね」
彼女が柔らかな表情を見せるのは、大体がウェローに関わるときだった。三人で日向ぼっこなどしているときは、いつも何かに感謝したくなるほど美しい表情を見せた。シーラは喉元に手をやり、ウェローを封印から解放したときに刻まれた紋様をなぞった。それはこの十数年ですっかり身に染みた仕草だった。
「とにかくできるだけ穏便に事を運びたいわね」
「同意見です」僕は頷いた。僕は心から、戦いなんてものを経験するのは嫌だと思っていた。「こちらの条件を提示し、それで平和協定でも結べれば一番ですね。簡単じゃないですけど」
「やるのよ」シーラは決然とそう口にした。やるのよ、アリオーソ。と。僕はそれに頷いて応えた。彼女がともに戦う者として、僕を信頼していてくれるのが分かった。それが嬉しかった。それで充分だと、そう思うことにしていた。
それから僕らは、自治と魔術の保護などを主とした条件を提示し、どうにかアルセナとの折り合いをつけようとしていた。それは最初に思ったとおりに、否、思った以上に骨の折れる仕事だった。アルセナ王国も僕らも、同じだけ頑なだった。王国は僕らを恐れながらも見下していたし、僕らには譲れないものが沢山あったのだ。
話し合いは幾度も行われた。それでどうして戦わねばならないことになったのか、今でも僕には分からない。なんとか戦うことを避けるのを第一に考えて行動していたはずだった。
けれど僕たちは力不足だった。
最初の使者が訪れてから一年後、話し合いは完璧に決裂した。使者は暗に武力的解決をほのめかし、中央へと帰っていった。
「……やるしかないですよね」
そう呟く僕の声はみっともなく震えていたかもしれない。「やるしかないわ」そう応えるシーラの声も少しこわばっているようだった。
「守りましょう」
「ええ、私とあなたで力を合わせて」
その誓いを思い出すと、僕は今でも胸が震える。
あの頃の僕らの触れ合いは、なんて透明な美しさだっただろうか。僕らの行いは、なんて無知で愚かなものだっただろうか。
その春の終わり、アルセナ王国軍はついに北へと攻め上った。僕らを、屈服させるために。
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