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僕はウェローを殺し、その灰をかき集めたあと、急いでアルセナ軍司令官の元を訪れた。供は連れず、ただ一人で敵陣へ向かった。アルセナ兵は皆、一様に恐怖と憎しみを湛えた瞳で僕を見た。僕はといえば、シーラのそれを手本にして、冷たい微笑みを浮かべ続けていた。一度暴言を吐いてきたアルセナ兵がいたが、その足元に小さな蔓を生み出して絡みつくようにした。彼は凍りついたように口をパクパクさせていた。僕にとっては、そんなものは遊戯の一つだ。
僕はとにかく、僕自身を得体の知れないものだと思わせようとした。こんなものと戦う気など微塵も起こさぬように。
司令官は立派な男だった。けれどやはり彼も僕を少し恐れている節があった。僕は拘束されていたわけではなかったが、できれば司令官はそうしたかったに違いない。
「停戦に同意なさるとか」
「ええ、僕らの要求は以下に記した通りです。これが守られる場合のみ、休戦に応じます」
「拝見します」司令官は僕の持ってきた書類に目を通し、読み終わると困ったと言いたげにうなり声を出した。「これは」
「呑めませんか」
「……こんなことを言いたくはありませんが、あなたは見たところ丸腰で、一人で敵陣のど真ん中にいる。その真意をお聞かせ願いたい」
「簡単ですよ」僕はにっこりと笑った。いつものように、子ども達に向けるようなそれを。「一人でもここから脱出できるし、やろうと思えば壊滅させられます。相打ち覚悟でね」
「玉砕覚悟だと?」
「今まであなたたちに使った魔法は、僕らの魔法のほんの一部でしかありませんよ。比較的安全なものを選んで使いました」別に僕は嘘は言ってなかったが、司令官が青ざめるのを見ても、彼の思い違いを訂正しようとは思わなかった。「僕らにとっても危険な魔法を使わなかったのは、あくまで僕らは自治を望んでいたからです。そして魔術の保護を」
それが認められないのなら停戦には応じない。僕ははっきりとそれを意思表示した。僕が出された紅茶に手を伸ばすと、そこにいた全員が何かされるのではと身構えるのが分かった。僕は笑った。
「知っていますか」
「何がでしょう」
「僕らは魔術に薬草の類をよく使うんです。薬草っていうのは往々にして毒にもなる。だから毒の主成分さえ知っていれば、それを無害な物質に変えることだってできるんですよ」これは嘘だった。僕が研究している分野ではあったが、その方法論は確立されたわけではなかった。けれど効果はあったらしい。司令官は戸惑ったように目を伏せた。「どうしました」
「いえ……では停戦合意書に署名を」
停戦合意書はあくまで一時的なものだ。僕はその内容を確認し、署名した。ここから本格的な休戦ひいては平和条約への議論がなされる。まだ始まったばかりだと、僕は自分を鼓舞した。
砦への帰り際、やはり兵士たちは僕を恐れていた。その姿を見て、僕は喜ぼうとした。彼らが恐怖を湛えるほど、その恐怖を本国へ持ち帰るほど、その後の協定がやりやすくなる。昔、生家で向けられていた恐怖の目とは違うのだと、そう思おうとした。
砦に帰ると、僕はアルセナ軍が撤退するのを確認したら街に戻るように指示した。停戦と聞いて一部は怒りを見せたが、大部分はほっとしているようだった。
「アリオーソ!」
街に戻ると、シーラがすぐさま僕を見つけた。彼女が戻ってくるには少し早かった。その喉元を見て、僕は思わず顔を歪めた。ウェローの証ともいうべき紋章が、そこには跡形もなかった。それでウェローの異変を感じ取って急ぎ引き返してきたのだろう。
僕は何かを言いかけたシーラを押しとどめ、先に部屋に戻っているようにと言った。それで少し落ち着いたのか、彼女は渋々ながらも従ってくれた。彼女の背中を見送って、僕は最も信頼している魔術師に滞りなく停戦が成されたことを言い、それを住民に告げるように言った。くれぐれも混乱を招かぬようにと。
僕は不安げな住人の視線を浴びつつ、それからのことを考えながら街を進んだ。一番奥の建物は僕ら三人の個室がある。もっとも、ウェローは部屋で寝起きすることはそうそうなかったようだが。
シーラは僕の部屋で待っていた。僕が部屋に入っていくと、我慢しきれないといったように訊いてきた。彼女は取り乱していた。
「アリオーソ、ウェローはどうしたの?」
きっと街中を探し回ったのだろう。絹糸のような髪がほつれ、頬は上気していた。「どこを探してもいないの。紋様も消えてしまったし」
僕は彼女に紅茶を淹れて差し出したが、そんなものはいらないとばかりにはねつけられてしまった。こぼれてしまった紅茶を拭き取りながら、苛立ちと恐怖に満ちた彼女を感じながら、僕は昔のことばかりを思い出していた。
「ねぇシーラ、僕らってほんと変ですよね」ようやく僕が発したのはそんな言葉だった。もしかしたら僕は、昔話がしたかったのかもしれない。「僕らは二人とも、ウェローに片思いしているようだと思いませんか」
「答えなさい、アリオーソ!」
ついに彼女の我慢は限界に達したらしい。僕の手首をつかまえて、埒が明かない僕の話を打ち切りにかかった。そのときの彼女の美しさといったら。
僕は何も言わなかった。
やがて彼女はひとつの考えに焦点を当てるように、だんだんと目を見開いた。一度喉が震えたのは、信じたくなかったからか。
「まさか、あなた……」
その瞳は恐怖を湛えていた。得体の知れないものを見るような、今まで見知った者が急に怪物に見えてきたとでもいうような。彼女がそんな瞳を向けることが、僕には何より辛かった。彼女だけはいつだって僕を真っ直ぐ見てきたのに。
「殺したのか!」彼女は吠えた。彼女のそんな声を、僕は聞いたことがなかった。「彼を殺したのか!」
シーラが飛び掛かってきた。まるで猫のような俊敏さだった。僕は少しよろけた。
「アリオーソ! なぜ彼を殺した!」
「……仕方がなかった! 生きるためには仕方なかったんだ、シーラ!」
僕は叫ぶつもりはなかった。断じて、そんなつもりはなかった。静かに彼女に真実を告げようと思った。けれど僕の卑小さは、僕の声帯をあっという間に支配してしまった。彼女があまりにも傷ついた瞳をしていから。
「この裏切り者!」
その言葉は僕の胸を深く抉った。
「ここに集った者たちをみすみす死なせるわけにはいかない! 自治を許されれば道はある!」
僕の喉は、未だにひとりでに言葉を紡いでいた。本当はそんなことを言いたいんじゃないと、僕は考えていた。もっと僕は、彼女と深く結びついた言葉を、彼女に伝えたかったはずだった。
「そんなもののために彼を殺したのか! 許さない、許さないぞアリオーソ!」
ああそうだ、シーラは僕を決して許しはしないだろう。僕らが共有していた三人の魂を、僕は粉々に打ち砕いたのだから。
「……殺してやる」シーラはうなった。それはまるで獣のようだった。憎しみだけを武器に、彼女は僕を殺してしまいそうだった。「……英知を与えし精霊の御名において、我は命ずる」
それは呪文の序文だった。シーラは扉を背にして、立ち尽くす僕に向けて氷の魔術を使うつもりらしかった。その呪文を聴きながら、僕は思い出していた。最初に出会ったときのこと。共に逃げだした夜の冷たさ。偉大なる彼と過ごした日々。魂をひとつにしていた、あの瞬間を。
『私とあなたで力を合わせて』という言葉を。
氷のつぶてが、僕の頬をかすめた。衝撃で眼鏡が吹き飛び、たちまち砕けた。僕はただ目を閉じて待っていたのだけれど、次の衝撃はやってこなかった。目をあけると、シーラはひどく青ざめていた。自分の杖の先を、信じられないといった目で見ていた。
「シーラ」
僕が名を呼ぶと、彼女は大きく肩を揺らした。逆光で見えなかったけれど、彼女はもしかしたら泣いていたのかもしれない。僕はシーラの涙を、それまでに一度しか見たことがなかった。
ばたばたと、廊下を走ってくる音が聞こえた。異変を感じとって、弟子たちがやってきたのだろう。シーラはさっと振り向くと、苦々しげに僕に目をやった。そのときには涙はなかった。
僕は何かを言いたかった。彼女もきっと何かを言いたかったのだと思う。けれど結局僕は、懐から小さな袋を取り出した。ウェローの遺灰だった。
彼女はそれがなんであるか瞬時に悟ったに違いない。丁重に、けれどすばやく僕の手から奪い取ると、大事そうにそれを抱えた。
「絶対に許さないわ」
シーラはそう言うと、氷のかたまりを部屋に叩きつけて、僕が咄嗟に目を閉じたときに姿を消してしまった。やがて弟子たちが飛び込んできて、一体なにがあったのかと聞いてきたけれど、僕は何も言わなかった。彼女はそのまま姿を消して、彼女を慕っていた者たちもついていったようだった。風の噂で、海を越えた先の、ここより寒い土地に魔術を使う集団が住み着いたと聞いた。
僕はやっと思い出していた。彼女に何を言いたかったかを。僕はウェローの最期の言葉を伝えたかった。そして、ウェローにも言いたいことがあった。
僕らの方こそ、あなたと過ごせて幸せだったと。
◆
残念ながら、これより数ページは無残にも切り取られてしまっている。おそらくそれからのアリオーソが、どんな風にして街を守ったかが書かれているはずだ。
彼は卑怯な手段も用いたようだから、誰かがその痕跡を消してしまおうとしたのだろう。
百日の停戦期間中にアルセナ王国とウェローの間で休戦協定が為され、ある程度の小競り合いはあったものの、十数年の休戦を経て、正式に平和条約を結ぶこととなる。それは都市の併合を意味したものだった。その際に、魔術院と王国研究所の創設が為された。同時に魔術師たちに対する法律や、地位の安定なども図られた。アリオーソが奮闘したおかげだろうか、ウェローの魔術師たちが戦争に駆り出されるといったことはなかったようである。あくまで志願兵としてのそれだった。けれど魔術の威力は充分強力で、正式に併合された三年後には、アルセナ王国は大陸統一を果たした。
アリオーソとシーラが望んだ自治は、完全とまではいえないまでも実現した形になる。住民たちは自由を保障されたし、また魔術が王国の一方的な道具として使われることもなかった。彼は魔術を適切な制限でもって普及することで、その地位を確立したといえる。
魔術が普及してくるにつれ、魔力の暴走に対する予防も全国規模で為されることになった。よって今日では、アリオーソやシーラのような不幸な魔力の犠牲者はいなくなった。それはアリオーソの大きな功績だと私は思っている。けれど魔術を学ぶ者の間でさえ、その名を知るものは少ない。きっと併合されたのちも生きていたのなら、偉大な初代市長として歴史に名を残すこととなったのだろうが。
◆
そうして今日この日、この都市は正式にアルセナ王国に併合された。調印においては正式な都市名が必要だったので、僕は迷わずウェローと書いた。
僕は停戦協定がなされてから、この街を守ろうと必死だった。随分と汚いこともした。そのために魔術を使うことも厭わなかった。僕は魔術を卑劣な手段に用いるという裏切りを今日まで繰り返してきた。ウェローを殺したのはその手始めだった。僕は彼を殺すことで、裏切りしかない道をひた進んだのだ。恩人である友を殺すという大罪に比べたら他の罪など些細なことだと、そう思って今までやってきた。あれほど嫌悪していた魔術、人を犠牲にする魔術は、今の僕には似合っている。
しかしその日々も、今日で終わりを迎えた。もう二度と、都合の悪い人間を罠にかけたり、事故に見せかけた魔術を発動しなくていい。もう僕は魔術を使わない。あの日から、教えてもいない。
そろそろこの手記も終わりを迎えようとしている。罪を償う時がきたのだ。
外は吹雪だ。窓の外は一面の白で、空と大地の境目など全く分からない。昔、まだここが街ですらなかった頃、こういう天気の時はふざけて「白の女王がきた」と言ったものだ。もうそんなことを言う人間はいないかもしれないと思うと、少し淋しい。
最後にこれを読んだ人にお願いがある。もしこの手記を見て、これを公表しようと思ったなら、是非とも控えてほしい。願うなら、この手記はウェローの片隅にひっそりと置かれるものであってほしい。たまたま手にとった誰かがいて、読み終わった後には、また埃まみれの書庫や本棚に戻してもらえば幸いである。最初に述べた通り、僕はこの手記を通じて何かを訴えたいわけではないから。ウェローもそんなことは望まないだろう。ならば何故これを書いたかと問われれば、これは遺書であるからとしか言いようがない。だが遺書とは誰かに宛てるもので、けれども僕に書く相手はいないからこういう形になったのだと思う。
いや、正直に言おう。僕はきっと最初から、ある人物を想定してこれを書いていた。もし僕の思う通りに事が運んだなら、これはきちんと望んだ相手の手元に届くだろう。あるいは読まれず燃やされるかもしれないが。それならそれで構わない。
これを書き終えようとしている今、僕の心は凪いでいる。ここ数年感じることのなかった平安を、今ようやく感じている。
僕はウェローと同じところにいくことはないだろう。でもそれは仕方ないことだし、些細なことだ。
ウェローは世界中にいる。彼が伝えた魔術の中に、この都市の名が記された書物の中に、教えを秘めた全ての人の魂に。
僕は、それが何より嬉しい。
アリオーソ
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